金日成に勝った朴正煕
朴正煕時代と日本
朴正熙は韓日国交正常化をなしたが、大統領として日本を公式訪問していない。最高会議議長の1961年、訪米のとき日本を経由しただけ。1972年9月に朴正熙大統領がその年の11月に訪日すると発表したが、直後に発表された「10月維新」で訪日は中止した。娘の朴槿惠も在任中、訪日しなかった大統領として記録された。
朝総連はスターリンと金日成の遺物だ。日本革命も目的の一つだった。それで、モスクワや北京をはじめ、世界中の社会主義圏が支援した。
金大中事件は、1970年代の初めから「連邦制」の言葉を金日成と共有していた金大中が、「10月維新」で帰国せず、日本で亡命生活を模索中、反国家団体と深い関係を結んだことが原因だ。金大中と盧武鉉政権の「過去事委員会」が徹底調査したが、朴大統領が拉致を指示した端緒はなかった。
文世光事件と朝総連系母国訪問団
金日成が韓国大統領を恐れて暗殺を試みたのは李承晩、朴正熙、全斗煥大統領だ。特に、朴正熙大統領を殺害するため、青瓦台襲撃(1968年)、韓国国立墓地を参拝予定の朴大統領を遠隔操作爆弾で殺害しようとしたが失敗した。
それで、日本から朝総連が操る刺客を利用して朴大統領暗殺を試みる。1974年8月15日、ソウルの国立劇場で行われた光復節記念式場に潜入した文世光が記念辞を読んでいた朴正熙大統領を狙撃したが外れるや壇上の陸英修女史を撃って絶命させた。
この事件は、戦後の韓日関係において「北送事業」と共に韓国民を最も憤慨させた2大事件だ。文世光は朝総連大阪生野西支部の政治部長を通じて指令を受けたことが明らかになった。文世光は恋人の日本女性の夫名義の日本パスポートを使用し、犯行に使った拳銃は、大阪の交番から盗んだものだった。韓国政府は文世光の背後を徹底捜査してくれるよう日本側に要請したが、前の年の金大中拉致事件で関係が悪化した日本当局は応じなかった。
日本は朝鮮労働党の唯一の海外党で戦線司令部である朝総連がある、南北対決の第2戦場だ。北側の最も重要な工作基地で、数多くの工作員が日本で養成されて韓国に送られたが、日本当局はこれを放置した。日本当局の傍観姿勢はやがて日本人が対南工作のため拉致された事態に発展する。
朴正熙大統領は文世光事件をきっかけに、日本内の朝鮮労働党支部を解体させる戦略的攻勢を決心する。陸英修女史葬儀後3カ月しか経っていない1974年末から始まった朝総連系同胞母国訪問団事業だ。きっかけは、川崎に住む朝総連系若者たちの小規模訪韓だった。
「民族学校」を出た彼らは平壌と朝総連の宣伝だけを信じてきたが、横浜の韓国総領事館が手配してくれた韓国への団体旅行を通じて、自分たちが洗脳され騙されてきたことが分かった。彼らの衝撃的な韓国訪問の経験があっという間に広がって人道的訪問を許可して欲しいという要請が急増した。朴正熙大統領はこれが日本での金日成前衛隊を崩壊させる機会であることを看破し赤十字社が主管して朝総連系同胞の墓参りを実現させるようにした。
墓参団事業が朝総連の基礎だった教育体系や商工会、末端組織を根こそぎ揺さぶるや、組織基盤の崩壊危機を迎えた朝総連は平壌に請願して、朴正熙大統領が死亡した1979年から短期祖国訪問団を実現させた。が、祖国訪問を通じて北の実状を目撃した朝総連系の組織離脱は加速するだけだった。
「10月維新」をどう見るのか
米・中関係の改善、ニクソンショックによる東西冷戦構造に大きな変化が来ると、韓半島情勢にも変化が生じた。南北の対決は、「対話のない対決から対話のある対決」へ変わった。朴大統領は自主国防のためにも重化学工業の育成が切実だった。南北接触と対話は、北より韓国をもっと苦しめた。南北は共に1972年、国力を最大限に動員できるように憲法を改正する。
韓国では国家革新体制について、いわゆる大衆経済論などが抵抗した。輸出主導型の開発政策が創案されるや、当時の韓国の知識人たちと政治家たちは、輸出ではなく国内市場を対象に農業と中小企業を優先的に発展させて農民と庶民、自営業者に恩恵が届くようにすべきだと主張した。この主張は今も財閥解体を追求する文在寅政権が継承している。
韓国では改憲は全部統治構造と関係する。最も長く持続された憲法が1987年に改正された現在の憲法だ。この改憲で成立した第6共和国でも改憲主張が絶えない。現行憲法が長く続く理由は、この憲法が絶対強者の出現を徹底に防ぎ、特に国会が圧倒的な優位と既得権を占めているからだ。
今建国の父たちが国民に語りたいこと
南北の現実を克明に示す写真がある。人口衛星が撮影した韓半島の夜の写真だ。北はほとんど暗闇だ。韓半島冷戦で南韓が崩れつつある理由は、韓半島が今も戦争中であることを韓国人が忘れているためだ。韓国で従北政権が登場した最大の原因だ。戦争中なのに平和だと思うから敵の攻撃に負けるのは当然だ。
朴正熙は金日成に勝った。金日成と金正日はミイラになって錦繍山太陽宮殿に保管されている。北韓全域に革命史跡地が作られ3万6000個とも言われる銅像がある。大韓民国は朴正熙の像もない。彼の記念館は蘭芝島のゴミ山の前に与えられた。そして、韓国は電気が余っているので原子力発電所を閉鎖せよという金日成主義者たちが今、朴正熙を迫害している。
朴正煕を知るためには
朴正熙を非難する者たちはほとんどが朴正熙については、朴正熙時代について無知か左偏向的な人々だ。朴正熙に対する肯定的著作物のほとんども、当初は彼に反対した者たちが書いたものだ。朴正熙を研究すべき理由だ。
『朴正熙伝記』(13巻)がある。この本は朴正熙だけでなく、韓国現代史が分かるためには読まねばならない本だ。『朴正熙100場面』(月刊朝鮮発行)もある。朴正熙生誕100周年献呈書もある。おすすめの雑誌は朴正熙大統領記念財団が発行する『朴正熙精神』という隔月刊誌だ。写真集で見たいならギパランが出した『朴正熙』がある。
統一日報は韓国現代史を勉強したい人々のため資料と勉強の機会を準備し日本でも朴正熙時代に関する講演やセミナーを計画している。ソウルの朴正熙記念館(ソウル市麻浦区ワールドカップ路386、上岩洞)は韓国近代史が分かる最高の記念館だ。統一日報は韓国の現代史の現場を訪ねる朴正熙ツアーも企画している。
朴正熙大統領に関する材料をインターネット上しらべるなら、
朴正熙大統領記念財団www.facebook.com/presidentparkchunhee
朴正熙大統領記念館http://presidentparkchunghee.org/
朴正熙大統領レオン電子図書館http://www.parkchunghee.or.kr/#!/ |