212番歌はこう解読される
衾道を引手の山は道理に疎い妻が葬った山。
妻が山道を歩いて行く。
新しい足跡がない。
作品を解いていると、柿本人麻呂が再び故郷に戻ってきた日、妻が亡くなった。
飛鳥に旅立った日の別れが、夫婦の永遠の別れとなったのだ。
亡くなった妻は、山に行きながら、夫が分かるように、自分の足跡を残さなければならなかった。なのに、世間知らずの妻は夫が来ることなどと思わず、足跡を残さなかったと嘆いている。
このときは、柿本人麻呂が藤原京に務めていた時期だった。休みを得て故郷の石見国を訪れたのだろう。故郷の村に着いてみると、妻が亡くなって葬儀が行われていた。妻との別れの様子が切なく描かれている。柿本人麻呂の妻を亡くしたこの上ない悲しみが切々と表現されている。
次は222番だ。
死者の生前の業績を玉のように美しく飾ろう。
讃岐国はいくら謗っても飽きない。
いくら誹っても尊くない。
(※讃岐国の官吏たちを叱っている)
国中に昼夜を問わず、葬列が道を埋め尽くしている。
神と天皇の地で、大勢の人々が死んだ。
家々の半分が廬幕だ。
(※廬幕は墓のそばに作った草幕だ。古代の韓半島では、親がなくなれば喪主が親の墓のそばに泊まり朝夕に機嫌伺いをした。喪主が泊まる小屋が廬幕だ)
(※家の半分とは、2軒ごとに1人ほど死んだとの意味だ。伝染病が猖獗したことがわかる)
海に行くと船が浮かんでいる。
私が行こうと言うや、ちょうど風と雲が流れ、湾曲部が見える。
追い着いたら、波立つ海辺が見える。
白波が砕け揺れる、鯨や魚を捕る海だ。
恐れながら進む船。
あそこ、ずっと続いている島が多いとはいえ、名前もつまらない狹岑嶋、荒れた岩地に廬幕を作ったのが見える。
波の音が聞こえ、雑草が生茂る海辺に繋がっている廬幕が新しく作られている。
廬幕の荒れた寝床に伏せて、死者の魂に生前の功績を伝えようとする。
(※涙歌は必ず、死者の生前の功績を記し、歌を歌って死者の霊魂に知らせねばならない)
死者の家に行き生前の功績を調べ、妻が亡き夫の生前の功績を魂に教えるよう話そう。
飯もあり道も広いが、死者の生前の功績を知らないため涙歌が作れず伝えられずにいる。
重たく気がかりに生前の功績を調べた内容が届くのを久しく待ちながら、讃岐国を誹る。
(※讃岐国が死者たちの生前の功績を教えねばならないのに、そうしないため讃岐国をとがめている)
夫を恋しがる、愛する妻が。
歌聖 柿本人麻呂(万葉集の高峯峻嶺の秘密) <続く> |