一昨年末の北韓による「統一放棄」表明以降、在日本朝鮮人総連合会(朝総連)の内部で生じた動揺は、今や深刻な「自己矛盾」に陥っている。今年に入ってからの『朝鮮新報』紙が伝える海外作戦部隊への「祝賀電文」(1月1・7日付)や「戦闘偉勲記念館」建設を伝える報道(14日付原文、19日付日本語訳)が、在日社会への危惧、波紋を広げている。
韓日若年層に広まる不安
朝鮮学校出身のある在日3世は、「私の通った時代は、平和統一が教育の柱でした。〝わが民族は侵略の歴史を持たない平和な存在〟と教わってきました」としている。
新年に入ってからの『朝鮮新報』紙が伝える派兵を賛美する報道に接し、拭いきれない違和感を抱いているという。
祖国の若者が異国の戦地で血を流すことを「尊い犠牲」と美化する論調は、かつて朝総連が民族教育を通じて育んできた平和統一への思いを、根底から覆すものにほかならない。
北韓本国の朝鮮労働党が発行する機関誌『労働新聞』紙がそのような記事を出すことと、『朝鮮新報』紙が行うのでは、報道の意味が全く異なる。
■志願を想起させる危険性
「戦功」を美化するのと、戦死者の慰霊を行うことの間にも、大きな異なりがある。組織の論調が浸透されやすい、在日コミュニティーに特有の閉鎖性があると指摘するのは、在日3世の映画監督、朴正一氏だ。
朴監督は、自身のルーツを見つめる活動の中で、組織の枠内に留まり続けることの危うさを感じる機会があったとしている。「自分が欲しい情報だけを吸収し、ほかの情報をシャットアウトするのが今は簡単な時代。組織が提示する〝犠牲の物語〟に流された若者が全体主義の餌食になってしまう場面も本当に現実となってしまうかもしれない」と危機感を募らせる。
朴監督が警鐘を鳴らすのは、組織のアルゴリズムに支配されない「個」の視点を持つことの重要性だ。一人の人間として日本社会で生きていく勇気が必要と、『ムイト・プラゼール』(2022年)『雨花蓮歌』(24年)などの多民族共生をテーマにした作品を通じて訴えている。
■犠牲の負の連鎖を止める
ウクライナ派兵のような混迷を「歴史の時系列」に立ち返って捉え直すべきと訴えるのは、NPO法人「ウリ花」の飯田幸司代表理事だ。
訪北の経験を持ち、南北の苦難を直接見てきた飯田代表理事は、在日同胞を「冷戦構造の犠牲者」と前置きする。「北は大国に挟まれて必死に生き抜き、南は日本と手を結んで国を守ってきた。どちらも過酷な歴史を背負わされた点は同じで、日本人は意識して関心を持たなければならない」と述べる。また、「植民地支配や分断の傷跡があるからこそ、いま再び、他国の戦場で犠牲を強いることがあってはならない」とし、視点を引き上げ、負の連鎖を断ち切ることこそ真の平和への道と指摘する。なお、ウリ花ではオンラインセミナーを通じ、日本人が主軸となり韓半島や在日同胞への理解を広げる取り組みを毎週にわたり定期開催している。
■「組織」から「独立」を
今回の派兵を巡る一連の報道は、朝総連が北韓の方針に従い続けることへのリスクを、現実味あるものとして在日社会に波紋を投じた案件であったと捉えるべきだ。
組織として「戦功」の顕彰、称賛に徹する全体主義路線が一貫される未来に訪れるかもしれない可能性は何か。ウクライナ戦争で犠牲になり続けている「海外作戦将兵」らに思いを馳せれば、最も近い外国にいる在日同胞への人員要請が現実味を帯びたものになってくる可能性が拭い去れない。
朴監督の言う「個の視点の重視」、飯田氏の説く「歴史の俯瞰」を自らの指針とし、一人でも多くの在日同胞が「自らの人生」を生きていくための選択肢へと進む未来を願っている。 |