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2022年04月26日 11:53
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新解釈・日本書紀 応神<第41回>
伴野 麓 著

(「沸流百済に取り込まれた安曇氏族」つづき) 
和名抄に糟屋郡安曇郷(筑前国)があり、安曇氏が居住した地だという。和白村、新宮村などがあるが、和白とは、新羅で用いられた語だ。新羅は6部族が連合した国家であり、その6部族による評議のことを和白と称した。6部族を6村とも称した。
日本書紀・応神紀に登場する安曇連を大阪湾沿岸の宮廷に常駐させ、そこからはるかに諸国の浦々にいる海部を統轄させていたとすれば、身近の淡路の海人などはもっとも強い統制下に置かれていたにちがいない。その淡路の海人は、日本最初の海軍だったという説もある。応神朝の時代は、道なき時代の交通至難、通信網も限られたものであったろうから、中央の威光が地方に及ぶのは困難があった。
「住吉大社は大坂の住吉区にあるお宮だが、古代、応神・仁徳という帝名で残っている大阪湾沿岸の王朝のころから、現在の場所にあったらしい。その王朝が、安曇とよばれている九州から瀬戸内海にかけての海人族を支配下に置いたとき、海人たちがそこに自分たちの海の神を祭ったのであろう。その伝承が、『古事記』のなかにも説話化して取り入れられている」と、司馬遼太郎は述べている。


(50)安曇族が住吉神を奉祀
『神祗志料』に「宗像三女神、崎門山に坐時、青簇玉を以て奥津宮の表に置き、八尺瓊の紫玉を以て中津宮の表に置き八咫鏡を以て辺津宮の表に置き、此三表を以て神体の形として、三宮に納置て即祝祭りき」とある。
宗像大神が鎮坐する沖島は、筑前国宗像郡にあり、日本書紀・神代紀に「今在海北道中、号曰道主貴」とある。道中とは、古来、韓地に通ずる航路の意で、『夫木集』に「立浪につつみの音をうち添て韓人よらめ奥の島守」と詠まれていることが、それを傍証する。沖島の古名は遠瀛で、恩賀島あるいは宇佐島とも称され、南辺に沖津宮が鎮座する。対馬と馬関海峡の間に位置し、晴天の時は壱岐や対馬からも見えるということだ。
後世、「宗像郡が筑紫と京師(「みやこ」の意)の駅路にあたるがゆえに、道中という」と説く向きもあるが、原文に「海北」とあり、海北は玄界灘の北の意であるから、それらの説は牽強付会(強引にこじつけること)ということになる。とまれ、遠賀郡に宗像という地名があり、遠賀川流域も宗像族の旧邑であったと見られている。
宗像氏は三女神を斎祀し、安曇氏は住吉神を氏神とする一族ということだが、「二人の漁師のうちの一人は、赤い鉢巻をしていた。赤を好むのは、宗像大神を奉じていた古代の海人である安曇族以来の伝統で、いまも漁師は、鉢巻や下帯に赤を好んでいる」と司馬遼太郎は、街道シリーズ『明石海峡と淡路みち』で述べている。
換言すれば、宗像大神を祀っていた海人族の一派であった大浜宿禰が応神朝に取り込まれ、その成立に貢献したことで安曇族として自立し、河内に移って住吉神を奉祀したことを暗喩する。

2022-04-27 6面
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