十市皇女は額田王と天武天皇の間に生まれた。十市皇女は678年に飛鳥の宮で急死した。父の天武天皇が十市の葬儀に参列して恩情を施し、哭をした。日本書紀を見れば、父と娘の別れの切迫した情景が、目の前のことのように生々しく記されている。
哭だけでなかった。天武天皇は娘の霊魂を慰める万葉の歌を3首も詠んだ。万葉集や日本書紀を見れば、天皇が皇女の死にこれほどのことをした記述は見当たらない。それほど異例のことだったといえる。天武天皇にとって、十市はそれほど特別な娘だったのだ。
なぜここまで大事にしたのか。十市には、天武天皇が運命をかけて起こした壬申の乱で決定的に寄与した何かがあったから、格別に愛おしんだと思う。
そのわけを調べるうちに、筆者は古代日本で最も悲劇的な人生に出会った。これからその悲劇の主人公について話そう。天武天皇が十市皇女のために作った3首の涙歌、万葉集の25・26・27番歌と156番歌を解読してみる。
万葉集の25・26・27番歌は天武天皇の作品とされている。ところが、誰のために詠んだ作品なのかは記録されていない。
解読の山場は、三つの歌が誰のためのものかを判断することだった。天武天皇が詠んだ歌だから、「天皇が誰かのために作った」との話になる。その人は天武天皇にとても近かった人のはずだ。
決定的な手がかりは、作品の中の「家」という文字だった。万葉集でこの文字は「奥様」の意味で使われる。したがって、三つの作品は、ある女人が亡くなったとき彼女のために作ったもののはずだ。
天武天皇が涙歌を作るほど愛おしんだ女人、亡くなったとき哭した十市皇女であるはずだ。日本書紀に「天皇は葬儀に臨まれ、心のこもったことばを賜り声を出し泣かれた」(全現代語訳日本書紀・宇治谷孟著)とある通りだ。天皇は哀痛した。
25番歌を解いてみよう。
三吉野之耳
我嶺尒時無曾
雪者落家留
間無曾雨者零計留
其雪乃時無如
其雨乃間無如
隈毛不落念乍敍來
其山道
三人が野原を進むよ。
(行くなと言っても)我意を通し(行く)山には(ちょうどよく雪が止む)時がないね。
雪というやつが降るのかよ。
(止む)間がないよ。
雨というやつが降るのかよ。
あそこ(あの世への道で降る)雪は(ちょうどよく止む)時がないよ。
あそこ(あの世への道の)雨は(ちょうどよく止む)間がないよ。
(あの世に行く道の)山の角(には雪や雨が)降るなと思う間もなく冥土の使者が迎えに来なければならないそうね。
(あの世へ行く)山の道よ。
万葉集に隠されていた悲劇の人生 十市皇女(万葉集25・26・27・156番歌)
<つづく> |