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最終更新日: 2025-09-03 02:48:56
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2025年09月02日 10:08
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時代を導く「指導者 李承晩」 (第2話)
金正珉 財団法人李承晩大統領記念財団学芸研究チーム長 

国民の啓蒙と政治改革の先鋒に立つ

 「李承晩といえば、長期政権を続け、4・19蜂起によって退陣した『老いさらばえた政治家』として扱われてきたはずだ。しかし、同氏が韓国民主主義運動史における輝かしい万民共同会の中心人物だったという事実を、信じられるだろうか」
数年前に世を去った在米政治学者、イ・ジョンシクの言葉だ。李承晩大統領の不名誉な退陣ばかりに注目していた老学者は、青年期の李承晩の改革的な姿を目にして、「激動期の卓越した指導者」として再評価したのだ。
大韓帝国の時代は、東アジア全体が大きな歴史的変動にさらされた時代であった。前近代と近代が交差し、西洋文明の波が東洋文明を押し流していた「文明の変革期」である。
衛正斥邪派は鎖国に固執して変革に背を向け、穏健開化派は旧本新参を掲げながらも変革の速度についていけなかった。これに対し、李承晩は時代の激変に歩調を合わせ、急進的な改革を追い求めた。李承晩青年は思い切って髷(まげ)を切り落とした。これは過去の中華的世界観との決別を象徴するとともに、新しい文明の時代へ踏み出そうとする決意の表れだった。

「国民の国」を夢見た青年改革者

幼少期に書堂で儒教経典を学んでいた李承晩は、甲午改革で科挙制度が廃止されると、培材学堂に進学して新しい学問に触れた。西洋の歴史や宗教、新しい思想や制度を学び、初めて政治的自由や民主主義という概念を知った。君主の国で育った青年にとって、それはまさに革命的な思想だった。国民が主権を握る国を思い描きながら、李承晩は近代的改革者へと成長していった。
彼が初めて民主主義を体験したのは協成会の活動だった。学生たちが政治や社会問題を自由に議論する場は、近代的な討論の始まりであった。次第に学生だけでなく一般人の参加も増え、協成会の討論は世間の関心を集めた。
討論と並んで新鮮だったのは演説という民主主義的政治参加の形だ。学生改革の先頭に立っていた李承晩が初めて演説をしたのは、培材学堂の卒業式だった。卒業生代表に選ばれた彼は、政府高官や外国公使が列席する場で、対外危機に直面する韓国の独立をテーマに英語で演説した。青年演説者は臆することなく政治的意見を述べ、聴衆は熱烈な拍手で応えた。
その演説は、やがて独立協会が主催する万民共同会へとつながっていく。万民共同会は身分の隔てなく参加できる政治的公論の場であり、我が国初の近代的市民集会だった。23歳の李承晩は若き演説者として登場し、政治改革と自主独立を訴えた。国民の意見を取りまとめ、政府には汚職にまみれた官僚の罷免と議会設立を求め、外国の外交使節には内政干渉をやめるよう抗議文を送った。
国民主権運動が広がると、高宗は独立協会の要求を受け入れ、代議制的性格を持つ機関へと中枢院を改編した。中枢院議官の半分は政府ではなく独立協会が選出することになったのだ。
信任を得て当選した李承晩は、大韓帝国最年少の議官に任命された。20代半ばにして、すでに青年指導者として祖国近代化の最前線に立っていた。
しかし、政治的危機感を抱いた高宗は、共和制を企てたとして独立協会幹部を逮捕し、万民共同会を強制的に解散させた。李承晩が群衆を率いて徹夜で抗議した結果、ついに幹部たちが全員釈放された。李承晩はその夜を「民主主義にとって大きな勝利を収めた」と回想した。
彼は前近代的な君主主権に立ち向かい、近代的国民主権のために戦った愛国の闘士だった。

(続く)

髷を落とす李承晩大統領(写真=セブランス病院)

 

2025-09-03 3面
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