ログイン 新規登録
最終更新日: 2019-07-18 00:00:00
Untitled Document
ホーム > 連載
2019年07月03日 00:00
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
海を渡った先人達<12> 先人3人目 壹与④
鈴木惠子


(七支刀)に刻まれている銘文の解釈には諸説あって、今でも確定されていませんが、その銘文の全文を次に示してみます。
【泰■四年■月十六日丙午正陽造 百錬■七支刀■辟百兵 宣供供侯王■■■■作】【先世■来未有此刀 百済■世■奇生聖音(または晋)故為侯王旨造■■■世】
現在のところ、銘文中の「泰■四年」を、東晋の年号「太和四年」と解釈し、369年に百済で造られ倭王に奉った、という説が主流になっています。しかし、「泰■四年」を、晋の武帝の「泰始四年」と解釈すると、268年に当たります。銘文の「侯」という字は「美しい」「諸侯」などという意味ですが、「美しい」だとして、「音」または「晋」の部分は「晋」を選択し、「旨」を「王の言葉」と解釈して、次のように訳してみました。
【晋の武帝の泰始四年(268年)五月十六日、夏の太陽が正に真上にある時に造る。この百錬の七支刀は、百の兵を避けることができ、美しい王に供えるにふさわしい】【このような刀は未だない。百済の世継ぎとして、奇しくもこの聖なる晋の世に現れた。それゆえ、美しい王の言葉(申し出)により、この刀を造った】
この解釈によると、七支刀は、晋の武帝が倭王・壹与に賜ったものと推察されますが、実際、壹与は2年前の泰始二年(266年)に武帝に朝貢していることから、それに対する返礼であった可能性があります。そして壹与は美しく、また百済の世継ぎでもあったようです。
当時の百済王は古尓王(在位234~286)とされ、夫余王・依慮の在位は(242~285)とされていますが、二人の関連については、残念ながら現在まで確認できていません。
古尓王が即位した234年当時は、百済国は馬韓50余国の中の一国であり、公孫氏と共に夫余王・麻余が治めていたと推察されます(『先人1人目・卑弥呼』参照)。その後、238年の公孫氏の滅亡により麻余も排除されて、百済国が次第に強大になっていったと考えられます。
夫余王・依慮は237年頃の生まれと考察しましたが、公孫氏滅亡直前に麻余と古尓との間に生まれた可能性が出てきました。そして、268年当時、晋の武帝は、依慮=壹与が百済の世継ぎの子であると認識していたことが確認できそうです。
『晋書・四夷伝・夫余国』には、依慮について次のような記述もあります。「武帝(在位265~290)の太康六年(285年)、鮮卑族の慕容廆によって夫余が襲撃され、王の依慮は自殺、子弟は逃げたが、沃沮で保護された」
このことに関連していると思われる記事が、神道五部書の一つ『豊受皇太神宮御鎮座本紀』(国史大系第七巻)に見出せます。それによると「崇神天皇の時、天照大神が大和の笠縫邑から与謝宮に移り、四年に渡り豊受大神から食事などを奉られていた。四年後に、天照大神は伊勢へ移り、後の雄略天皇二十二年(477年)に豊受大神も伊勢に移った」とあります。

2019-07-03 6面
뉴스스크랩하기
連載セクション一覧へ
韓国与党が中国共産党と政策協約
大阪金剛学園 新理事長に崔潤氏
反国家団体「韓統連」など招待
文大統領は「第3国仲裁委」構成を受け入れよ
半導体3品目 輸出優遇除外も影響は限定的か
ブログ記事
文在寅に問う!
共感を考える研究会
文在寅の不安な精神回路、その解離
哲学的疑問と哲学的感情
自由の風、ここに(審判連帯のロゴソング)
自由統一
開城工団再開の宣伝道具に
奇襲南侵から69年
近づく金正恩体制の終末
北側が弾道ミサイル発射
罠から脱出するため文在寅を脅迫する金正恩


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません