吉野に隠遁していた大海人は、大友皇子側が自分を排除(殺害)しようとしている事実が分かった。大海人はその情報を根拠に挙兵した。万葉集と扶桑略記を検討すれば出所が分かる。
扶桑略記には「十市皇女が夫の大友皇子側の動静を探り父の大海人に知らせた」と記されている。目立つ記述だ。さらに驚くべきことは、万葉集の様々な作品が扶桑略記のこの記述を立証していることだ。十市皇女は夫の側の動きを母親に伝え、母親はその情報を恋人の大海人に伝えていたのだ。それは壬申の乱の勝敗を分ける決定的なものだった。
万葉集22番歌を解読してみよう。
河上乃湯都 磐村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
(他の人たちは狩りを終えて)川の上の温泉に行っても
(別れたくないと)ためらっている人が浦生野に二人。
(浦生野の)草むらで(大海人皇子が)傍を許して下さった。
赤い布に記してくださった(額田王と十市皇女の)功績。
(伊勢神宮に)居住する女人が手のひらを叩きながら(願っている)。
河上乃湯都
(他の人たちは狩りを終えて)川の上の温泉に行っても
磐村二
(別れたくないと)ためらっている人が浦生野に二人。
磐はためらい、村は密愛をした浦生野を指す。
二は大海人と額田王である。二人を横山の夫婦岩と結びつけて表現している。
草武左受
(浦生野の)草むらで(大海人皇子が)傍を許して下さった。
常丹毛冀名
赤い布に記してくださった(額田王と十市皇女の)功績。
常は天皇の旗。伊勢神宮に天皇の旗を備えておいたはずだ。
毛は天武天皇のことだ。丹の赤色は天武天皇の色である。
名は額田王と十市皇女の功績のことだ。赤い布に母娘二人の功績が記録されていたはずだ。
常處女煮手
伊勢神宮に居住する女性が手のひらを叩きながら(願っている)。
女性は伊勢神宮在住の皇女である。神宮には神を祀る「斎宮」がいた。
驚いたことに、神宮の赤い布に額田王母娘の業績が書かれていた。十市皇女はそのとき初めて、自分が壬申の乱が起きる前に母の額田王に言った話が父の天武天皇に伝わった事実を悟っただろう。自分が夫の大友皇子を死の道へと追い込んだ事実をようやく分かったはずだ。青天の霹靂だった。
悲劇の人生 十市皇女(22番歌) <了> |