持統万葉には舎人たちの歌が収録されている。草壁皇子は亡くなったとき嶋宮を居としていた。ここに紹介する万葉の歌々は、草壁皇子に仕えた舎人たちが、皇子に捧げた最後の忠誠の歌だ。
草壁皇子を万葉集では日並皇子または日双皇子と呼ぶ。持統天皇が夢を見たが、天武天皇が御日様として昇ってから、続いて息子の草壁皇子も御日様として現れた。持統天皇のこの夢によって草壁皇子は日並皇子または日双皇子と呼ばれるようになる。
草壁皇子の舎人たちによって全23曲の郷歌が作られた。万葉集2巻の171番歌から193番歌が「舎人たちの歌」だ。
「吾」という作家が舍人たちの心を込めて代わりに作品を作った。自ら自分が23編を全て作ったと記録した。筆者はこの「吾」という人を歌聖の柿本人麻呂と推定する。
今回の連載では「舎人たちの歌」23曲のうち12曲だけを選び、日本文学史上初めて紹介する。皆さんは舎人たちの歌の解読に史上初めて接している。
順序を無視し「吾」が自分の姿を現わした作品から解読して見る。23曲の作品の最後の作品である193番歌に彼がどういう人物なのかが分かる手がかりが現れる。
八多籠良
我 夜晝 登 不云 行路乎
吾者皆悉宮道敍爲
多くの作品を集めて籠に入れて置いた。
頑なに昼夜を黙って通っていた道。
私は作品23曲を全て嶋宮に往来する道で書いた。
後日、万葉集の初期編集者が舎人たちの歌23編の作品を拾い万葉集の巻第2に収録しておいたはずだ。最後の句「吾者皆悉宮道敍爲」は、「私は作品23編を全部嶋宮に往来する道で書いた」と解かれる。草壁皇子の死後、嶋宮を往来しながら舎人たちの歌すべてを完成したという意味だ。
舎人たちの歌の初作品の171番歌を見よう。
高光我日皇子乃
萬代尒國所知麻之
嶋宮波母
高いところから日差しを照らして強情に御日様になられた皇子様が櫓を漕いで海を渡っていらっしゃるね。
萬代にわたって国中の人々は皇子の生前の業績を知らせねば。
嶋宮に住んでいらした方が波打つ海に出られる。
母親が泣かれる。
ここで母は悲痛に泣く持統天皇だ。御日様は草壁皇子だ。皇子の魂を乗せたあの世への船が、冥土の海を渡っていた。死者の生前の業績を美化して歌ってあげる、古代の来世観の核心だ。
舎人たちの歌(万葉集171~193番歌)
<続く> |