趙甲済
カーターの大統領選挙の参謀だった、ウィリアムH. オバホルトが書いた「中国の浮上」(The Rise of China. Norton. 1993)という本は、一時反韓的な考え方に陥っていた著者が、朴正煕の韓国を再評価しながら、開途国の近代化と中国の変化を見る目が変わる過程を興味深く説明している。オバホルト氏は、この本で中国の近代化戦略が「朴正煕モデル」を適用しているとしながら、自分がなぜ朴正煕式の開発戦略の正当性に説得されるようになったのかを語る。
この本を執筆する時、香港のアメリア金融会社で国際情勢分析家として勤めていた彼は、ハーバード大学を卒業した後マーティン・ルーサー・キング牧師を追従する民権運動家として活躍し、エズラ・ヴォーゲル教授の勧誘で、ハーバードで中国の文化大革命を研究したこともある。彼は、文化大革命を研究しながら途方もない規模の虐殺に対して知るようになったが、この問題をハーバードで提起しても毛沢東信奉者たちが講壇の主導権を握っていた当時の雰囲気のため(逆に)批判ばかりされたという。
エール大学院を卒業した彼は、ハドソン研究所で仕事をするようになったが、所長が有名な未来学者のハマン・カンだった。彼は、韓国の近代化政策を高く評価していて、若いオバホルト氏とはしばしば論争をしたという。オバホルトはその後1970年代の中盤に韓国を訪問し、「セマウル(新しい村作り)運動」が真っ最中だった農村を視察した。彼は、この時の衝撃をこの本の中で生々しく描写している。
最も凶悪な独裁者と思っていた朴正煕政権が、農民の積極的な参与を誘導して、非常に効率的に国家を近代化している様子は、彼がフィリピンで目撃した情けないアメリカ式近代化とは余りにも違った。この経験が契機になって、彼はアジアの権威主義的政府を見るアメリカの学者、政治家、記者たちの偽善的で図式的の観点に懐疑を感じるようになったというのだ。
1976年、彼はカーター大統領候補の選挙参謀になって、対アジア政策グループを担当することになった。韓国を訪問してから考えが変わった彼には、西欧式の優越意識に浸っているカーター陣営の参謀たちが分別のない人々に見えた。その時カーター陣営では、駐韓米軍の撤収を公約することで独裁政権を膺懲する人権外交のチャンピオンとしてカーターのイメージを操作しようとしたが、これがオバホルトには馬鹿げた真似に見えた。彼は、アメリカ式の人権概念を韓国にそのまま適用することは、歴史や文化の発展段階の差を無視したアメリカ式の傲慢だと思った。この経験から、彼は1989年6月の天安門事件以後中国の人権問題と中国に対する最恵国待遇を連係させようとするアメリカの政策を批判的に見るようになったという。彼はこう書いている。
「西欧理念の詐欺性は、政治の発展は常に経済発展より先行するか同時に行われるべきだと思うことであり、アジアの権威主義的な指導者たちの詐欺性は、政治的自由化が無くても、経済的自由化が無期限続けられると信じることだ。」
「世界の現代史をいくら捲ってみても、後進国家が民主化を先に成遂げてから経済発展をする形で現代的な市場経済へと成功的な転換を成遂げた国が無いことを発見することになる。にも拘らず、この失敗したモデルは西欧の学者たちや言論から称賛され、西欧からの援助を受けてきた。こういう援助は、正門から入ってそのまま裏口へ出てしまって、資本の逃避のみが発生するだけだ。これとは対照的に、太平洋沿岸のアジア諸国の場合は、先に権威的政府が登場して近代的な制度を作り、経済を自由化して教育を受けた中産層を生み出す。それで政治指導者たちが政治的変化を望まなくても、自由と民主主義が登場するようになる。」
この本の中で、オバホルトは、後進国が西欧式民主主義を試みると失敗するしかない三つの理由を挙げた。まず、後進国には人気主義的な扇動から国益を守られる強力で現代化された国家機構が存在しない。二つ目、後進国には、農地改革や国営企業の私有化のような改革を阻止する既得権勢力は強いが、これを克服して推進すべき国家主義勢力は弱い。三つ目、後進国には分別力を身に着けた教育された中産層が弱い。
オバホルトは、この三つを合わせて、後進国で民主主義の定着を不可能にする問題を「人気主義の障壁」(Populist Barrier)と名付けた。オバホルトは、朴正煕が正にこのポピュリズムを克服して民主主義へ行く制度と中産層と国家的改革を成遂げた人だと評価した。
<彼は、執権するや軍事費を削減した。北韓の脅威があるにも。こういうことは民間政治家たちが絶対にやれないことだ。朴大統領は敵対関係だった日本と修交した。これも有権者たちから支持を受けられないことだった。彼は、社会主義的傾向が強く、外国人嫌悪症が強い群衆の心理を抑えて外資の誘致と貿易を奨励した。彼は、輸出を支援するため為替レートを引き下げた。これは南米の政府ならできない措置だ。南米の国々の支配層は、過大評価された為替レートを利用してぜいたく品を輸入し、外国で不動産を買い溜めするから。
朴大統領は、外国人の投資を歓迎し、原材料と機械類に対する関税を引下げて韓国企業の競争力を高めた。このような改革は、社会主義的性向の知識人や過保護に安住する企業家から同時に反発を買うことだから、民主主義を採用する開途国では不可能なことだ。
朴正煕は、現代式の国家機構を作るのに成功した。韓国軍は米軍よりも効率的な集団になった。彼は無能で腐敗した長官や銀行家たちを追放し、研究所を作ってアメリカで勉強した学者たちを招聘した。彼は、彼らが高位官僚になるようにして、世界で最も能率的でスリムな政府を作ることに成功した。これに反して、アメリカ式の民主化を推進したフィリピンのアキノ大統領は、支持者らの請託を受けて公務員たちを任命したため、政府は大きくなり、効率性は落ち、有能な長官たちは集団利己主義の犠牲物になった。朴大統領の改革が、彼が望まなかった「民主化」の条件らを生み出した。>
1970年代に、韓国で行われた感動的な朴正熙式の近代化を現場で目撃したオバホルトは、東アジア式開発方式の妥当性を確認するようになり、この新しい観点からゴルバチョフ式の西欧型改革開放の失敗も予言できたという。ゴルバチョフ式の改革は、政治的自由化と経済的自由化を同時に推進することだったし、これは西欧が好んでそそのかした方法でもあった。オバホルト氏は、韓国の成功事例とこれを模倣した鄧小平の中国近代化の成功事例から、世界史の発展を評価できる洞察力ができたということだ。オバホルト氏のこの本は、中国に関する重要著書として多くの注目をあびている。朴正煕を見る視角の矯正を通じて、世界を見る目が澄んできた彼のこの過程は感動的だ。
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