鄭昌仁(インターネット独立新聞主筆)
朴槿恵議員は、一時期保守愛国勢力の希望だった。それが2007年のハンナラ党の大統領候補予備選を経ながら、次第にその希望は消えつつあるようだ。その根本原因は、朴槿恵議員の判断力に根本的な問題があるように見えるからだ。
朴槿恵議員が保守愛国勢力の希望として登場することになった背景には、彼女がハンナラ党の代表の時、否応為しに保守愛国勢力を代表するしかない位置にあったからであろう。その上、盧武鉉輩が、私学法を改正した時、それが「全教組」と関連していると発言して、朴槿恵議員が事態を正確に見抜いているという印象を与えたのが、彼女に対する期待のレベルを高めたようだ。
だが、詳しく見てみると必ずしもそうでもない。盧武鉉輩が、いわゆる「4大改革立法」というものを押し通した時、ハンナラ党が自らの役割をやらなかったからだ。私学法改正案も、ハンナラ党の助けがあったので法案として通ることができた。したがって、正確に言えば、初めから通させてはならなかった法を、通してから恰も保守・愛国勢力が反対するから再改正せねばならないというふうに方向を変えたのだ。だから、盧武鉉輩が、「4大改革立法」だけでなく、その他の「過去事法」や「民補償委法」などを通過させ、国家のアイデンティティを取り壊した背景には、ハンナラ党の協力があったのが事実であり、こういう問題らを総合的に考慮すれば、朴槿恵議員がハンナラ党の代表としてやったことが、全て保守愛国勢力を代表したものでもなかった。
ところで、朴槿恵議員の判断力に問題があると考えざるを得なかったことは、ハンナラ党の予備選の時現れた。彼女は、盧武鉉輩が提供した「資料」を根拠に、盧武鉉輩が立てた、いわゆる「一発」戦略を最後まで押し通した。彼女の重大な判断錯誤は、ここで決定的な弱点として浮び上がった。彼女が、やった立派なことは、予備選で敗北した直後行った敗北承服の演説だった。しかし、その後の彼女の歩みを見ると、この演説が真心だったのか疑わしい時が多かった。
朴槿恵議員は、保守愛国勢力を完全に代弁もしていないし、そうかと言ってハンナラ党も代表していない。観点を変えれば、彼女は、ただ「親朴連帯」として代表される、追従者集団のみを代表しているようだ。しかし、この「親朴連帯」は、理念的性向が安定せず、利害関係も複雑に絡まっているようだ。時には親北左派とも協調できるし、はなはだしきは金正日独裁者とも共同戦線を展開できるといった曖昧な立場を持っているように見える。われわれ保守愛国勢力を最も当惑させたことは、彼女が、自ら進んで盧武鉉の特使として平壌を訪問できるという意向を明らかにした時だ。盧武鉉の特使を、野党である、そして保守愛国勢力を代表すると信じているハンナラ党の代表が、自ら請った事実は、いくら理解しようとしても納得できなかった。
李明博政府が発足した後も、朴槿恵議員の歩みは明確でなかった。何よりハンナラ党の党籍を持つ人なのか、「親パク連帯」の代表なのかさえ不明な時が多かった。しかも、李明博大統領に対しては、承服演説をしたことがあった事実が信じられないほど距離をおいた。もしかしたら、世論調査に現れる人気を念頭に置いて独自の歩みを夢見ているようにも見える。だが、このような中途半端な姿勢が彼女の政治的生命を短縮させてはいないかと心配だ。
問題にもなれない狂牛病の「ロウソク示威」に対する彼女の発言や、1月5日の「国会事態」に関する発言は、彼女の判断力に重大な問題が生じたことを語っている。判断力がはっきりとしていないと、国家的責務を担うことはできない。朴槿恵議員の判断力が、今より向上しない限り、これから4年間、彼女は徐々に政界から忘れられることになるだろう。そして、保守・愛国陣営の価値をもっと明確にそして正確に代表できる能力と意志を持った政治家に、われわれの希望は移るだろう。朴槿恵議員の未熟な判断力はもしかしたら彼女の政治的な墓になるだろう。
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