祖先を切り捨て姥捨て山へ送り込んだ
『古事記』を偽書とする説があるそうだ。その根拠は、(1)『日本書紀』に『古事記』のことが全く言及されていない。(2)太安万侶の実在は確められるが、稗田阿礼については確かでない。(3)『古事記』編纂の太安万侶が『日本書紀』の編纂にも参画しているのは不自然というものだそうだ。
そうした根拠というものは、『古事記』を偽書とする根拠にはならないと思われるのだが、『古事記』は、本居宣長著『古事記伝』以来、神格化されて『古事記』批判はタブー視されたまま今日にいたったので、『古事記』に関する実証的成立の研究が全く行なわれていないそうだ。
『日本書紀』は百済一辺倒の内容であるのに対して、『古事記』は比較的公正な立場をとっており、親新羅、親百済のいずれにも片寄っていないという。そのことは、新羅系山陰王朝が存在していて、それを簒奪したのが百済系大和王朝であるということを確証するものでもあると思われる。すなわち、『古事記』は新羅系山陰王朝を認識する人物によって編纂され、『日本書紀』は新羅系山陰王朝を無視あるいは簒奪する人物によって編纂されたということだ。
『日本書紀』は、藤原不比等の影響が強く、反新羅で貫かれている書と見られているが、『古事記』が、『日本書紀』の記述にそぐわないとはいえ、偽書というのは筋違いのように感じる。ただ、視点の違いによる記述だと思われるからだ。
とまれ、その『古事記』の序文の一節に「崇峻天皇は、夢で御承知になって神様を御崇敬になったので、賢明な大王と申しあげます」とあるが、崇峻の死後に創建された法隆寺とどのようにかかわるのか、そのことを示す文献も伝承もなく不明で、謎の古代史を象徴する法隆寺の歴史に、また一つ、新たなナゾが加わったなどと論評されている。
何かしら、謎であることを楽しんでいるようで、自国の古代史に対する真実を追求する姿勢が薄いように感じられる。何かの集いで、日本の古代史に韓地が深く関わっているようなことなどを強調すると、その場が白けてしまうことを何度か経験したのだが、それがまさに、日本人の歴史認識の土壌ともいうべき気質だと感じるのだ。
弥生人は韓地からの渡来人であり、日本列島土着の縄文人とは別の種族であるという認識のもと、日本列島は弥生時代以来、韓地からの渡来人によって開拓された土地であり、現代日本人の原郷は弥生人にあるのであって、決して縄文人が原郷でないことを、今一度強調しておきたい。 |