「暴君のシェフ」に見る漢字
韓国tvNのテレビドラマ「暴君のシェフ」が熱い。Netflixの非英語部門ランキングで配信四週目でついに第一位を獲得した。舞台は朝鮮王朝第十代国王燕山君の時代。この設定は、二〇年ほど前に大人気を博した、韓国MBCで放映された「大長今(テジャングン。邦題‥宮廷女官チャングムの誓い)」と同じ。舞台は共に宮廷の厨房である水刺間(スラッカン)だ。今回は、女医ではなく料理人が主人公。名声を欲しいままにしたフランス料理の天才ヨン・ジヨンがタイムスリップ。暴君として今に知られる燕山君の料理番になって奮闘するストーリーである。
「暴君のシェフ」では漢字が重要な鍵を握る。明国使節団との料理三番勝負では漢字一文字が記された札をそれぞれ引いて課題とした。最初は「無」と「肉」。そこで「まだ見ぬ肉料理をつくる」こととなった。次は「易」と「知」。「易」は変化、英語ではチェンジだ。そこで「相手国の料理を互いにつくる」こととなった。
最後は「参」と「湯」。そこで「人参を用いた汁物(湯・タン)をつくる」こととなった。主人公ヨン・ジヨンが選んだ料理は烏骨鶏の「参鶏湯(サンゲタン)」。烏骨鶏の肉は固いので短時間料理には向かない。当時は存在しない圧力鍋を職人に作らせ明国調理人を圧倒。主人公たちが勝利し、朝鮮王朝は守られた。まさに手に汗握る展開なのだが、その場面で漢字の札の横にハングルのテロップが記載されて驚いた。現代の韓国ではこの簡単な漢字さえ読めない人が増えたのである。
主人公がタイムスリップするきっかけとなったのは「望雲録」という古い本。この本が暗示を含めて冒頭に登場するのだが、漢字がわかない韓国の視聴者はこの暗示をどれぐらい理解できたのだろうか。
燕山君の「燕」
燕山君の「燕」は、鳥なのに鳥の部首が付かない珍しい文字である。鳥を表す漢字には、「鳥」や尾の短い鳥を意味する「隹」が付く。雀、隼、雁、鶏、鴨、鳶、鷺など多数ある。「燕」はツバメが飛ぶ姿を抽象化した単独の象形文字。それだけ古代の人々にとっては身近な鳥であった。家々の軒下に巣を作り渡鳥として季節を告げる。ツバメの巣は中華料理にとって重要な具材でもある。といっても、燕山君は民にとっては身近な主君ではなかった。その残虐さ故に様々なドラマの舞台となるのだ。
「誤嚥(ごえん)」という言葉がある。誤嚥性肺炎とは食べ物を間違って気管に飲み込んでしまって肺炎になること。保健所に行くと「嚥下(えんげ)の訓練をしましょう」などのポスターを目にするだろう。「嚥下」とは食べ物を口の中で噛み、飲み込みやすい大きさに変えて口から喉、食道、胃へ飲み送り込むことだ。「嚥」は、ツバメの雛が餌を丸呑みする様子から作られた漢字なのである。英語で飲み込むことをswallowというが、これもツバメが語源だ。
さて、「暴君のシェフ」では制作したテレビ側でも漢字を理解していないことが判明した。早くも初回放送時にそれが露呈。燕山君とヨン・ジヨンが迷子になる村に立てられていた幟の文字が間違っていたのだ。「太平聖代」となるべきものが「太平聖大」となっていた。ハングルでは「代」と「大」は同じ。「太平聖代」の文字は韓国ではスローガンなどに多用されるので街頭でよく見かける。そのため視聴者に指摘されてNetflixではすぐに修正、事なきを得た。
韓流ドラマは史実に基づかないのでファンタジーと呼ばれる。しかし、漢字の誤記はファンタジーでは済まされない。くれぐれも誤嚥せぬよう願いたい。(つづく)
「燕」の成り立ち
水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。
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