母の持統天皇はその日から、昇る太陽を見ると、それを息子だと思った。息子が恋しくなると、母は万事を後回しにして太陽の昇るところへ向かった。人々は驚いた。持統の気持ちを察せず、そうしないようにと止めた。「世間知らずの女(妹)になった」とささやいた。だが、彼女は他人がなんと言おうと気にしなかった。深く愛した息子を失った母親の心を、誰が分かるだろうか。持統天皇のこの夢から、皇室では草壁皇子を「日雙皇子」と呼ぶようになった。
万葉集には「162番歌の作者は持統天皇」と記されている。しかし、本当の作者は人麻呂に違いない。この作品のように、長くて優れた歌が作れた歌人は人麻呂だけだ。
天武天皇が御日様となって昇り、続いて草壁皇子も御日様となって昇った。夫と息子の二人が永遠に天から母を照らした。愛する息子は、あの世への海を渡って去ってしまうのではなく、御日様となって母と一緒にいてくれた。
万葉集の研究家たちは、この作品をどう解釈してきたのだろうか。これまでの解釈を見てみよう。代表的な解釈の一つを紹介する。
「飛鳥の清御原の宮で天下を治められた/(枕詞)やすみしし/我が大王、高く照らす日の御子、どのように思し召すのか。
神風の吹く伊勢の国の海、海藻も揺れる波に潮の香りだけ漂う国へ/(枕詞)うまこり/とても恋しい高く照らす日の御子」
郷歌の解読法をもって解いた162番歌と、これまでの解釈を比較してほしい。前者には、母親の切なくて嬉しい気持ちがいっぱい込められていることが感じられる。日本人はこれまで、失った息子を切なく恋しがる持統天皇の気持ちが分からなかった。
万葉集を改めて研究する必要がある。日本人が持っている天才的な力量や感受性を万葉集の研究に注ぎ込んで欲しい。百年でも千年でも構わない。あなた方の完全な過去を探してほしい。歴史の記憶を失ったまま、これからまた千年を生きるのは、もどかしいことではないか。
丁寧に願う。皆さんの美しかった過去を万葉集で見つけて欲しい。ソウルの一人の万葉集研究者の願いを曲解せず聴いて欲しい。
息子への愛に溺れた母(持統万葉)<了> |