王仁博士リレーと88オリンピック「ホドリ大作戦」
 | 88オリンピック「ホドリ大作戦」に参加した三父子 | 父と祖父は、韓国の国家的イベントなどにおいて在日社会の代表としてリーダーシップを発揮した。祖父は大阪万博の韓国館建設、88オリンピックの後援、国際花と緑の博覧会の韓国庭園造設支援など。
祖父は大きな行事が先にありきで、リーダーとして在日の力を結集することに努めた。
一方父の方は、壮大なイベントを自ら創造してリーダーシップを発揮した。日本に漢字や儒教を伝授した王仁博士の故郷である全羅南道の霊岩から釜山までの400キロ、そして海を渡り下関から墓所のある枚方までの600キロを歩くという王仁博士リレー。
これが四天王寺ワッソという壮大な歴史絵巻へと繋がる。また88ソウルオリンピックでは大阪興銀の職員を中心に組織された「ホドリ大作戦」ソウルオリンピックのマスコットホドリの着ぐるみを着て日本の都市のあちこちでパレードを繰り広げ、ソウルオリンピックを盛り上げる企画も父の発案だった。
ホドリたちはオリンピック成功祈願の富士山登頂から始まり、日本のいろんな都市でパレードを行った。その様子はテレビニュースで何度も取り上げられ大きな話題になり父の作戦は大成功を収めた。
さて父の最高の作品である四天王寺ワッソ。そのスタートラインはアイデンティティ探しだった。父は韓国人の祖父と日本人の祖母の間に生まれた。生涯韓国と日本で自分のルーツを探る旅を続けた。
二つの国にルーツを持つ自身のアイデンティティーに苦悩した結果、得た結論は一方の国だけではない、二つの国の交流に自分のアイデンティティーを確立することだった。
それは父だけのアイディンティティにとどまらず、韓国にルーツを持ちながら、日本で生まれて生きていく「在日同胞」のアイデンティティにも希望を与えるものだった。
それまでの在日韓国人の暗いアイデンティティをひっくり返して、胸を張って「私のルーツは朝鮮半島だ」と言えるように引き上げてくれる、大きな原動力になる何かを「仕掛ける」こと。
父はまず勉強会を開き、日本書紀を興銀の職員たちと通読した。読むだけでなく、古事記や日本書紀に登場する半島と縁が深い地域に足を運んだ。父は「暗い場所も明るい光を当てれば明るくなる」古代の豊かな交流を現代に再現しようと企んだ。どのように再現するか、あれこれ悩んでいた時だった。 |