20世紀後半の歴史を振り返ってみると、第2次大戦後、新生独立国の中には国民国家の建設に成功した、いくつかの小国(イスラエル、韓国、台湾、シンガポールなど)がある。ところが、これらの国々では、国家安保を至上課題とし、それでいて国民皆兵制を取っているという共通点が見られる。これらの国々は同盟国(米国)に頼りながら、国家の規模に比して強力に軍事力の建設に多くの投資をしなければならなかった。
「国家は戦争をする単位(組織)で、戦争は国民を鍛え作る」と言われるが、国家安保に致命的な負担と限界を持つ国々が、命をかけてその負担と限界を克服すれば、それだけ強い国家へと変貌し成長するのだ。
韓国は1970年代に自主国防力を建設する野心的なプロジェクトを始めた。多くの時間が経過した後で公開された資料によると、「栗谷計画」と呼ばれたこのプロジェクトは、韓国軍の合同参謀本部が73年4月19日「乙支73」訓練を視察するため国防部を訪問した朴正煕大統領に報告した「国防指揮体系と軍事戦略」から始まった。報告を受けた朴大統領は次のような指針を出した。
自主防衛のための軍事戦略を樹 立、軍事力建設に参加せよ。
作戦指揮権の引受に備えた長期 軍事戦略計画を樹立せよ。
重化学工業の発展に伴い、高性 能戦闘機やミサイルなどを取り 除いた所要兵器と装備を国産化 する。
80年代には、この地に米軍が一 人もいないと前提、合参は独自 の軍事戦略と戦力増強計画を発 展させよ。
朴大統領の指針を受けた国防部は、合参本部長の李秉衡中将が主管して「合同基本軍事戦略」草案を作成(73年7月)した。
合参はこの戦略のために「軍装備現代化計画指針」を陸・海・空軍へと下達し、各軍ごとの戦力増強計画を作成するようにさせた。合参は各軍が作成、報告した戦力増強計画を総合、「戦力増強8カ年計画」を朴正煕大統領に報告(74年2月25日)、裁可を得た。
この大韓民国初となる「自主的戦力増強計画」だった「戦力増強8カ年計画」(74~81年、「国防8カ年計画」と通称)は、「栗谷計画」という偽装名称で呼ばれることになる。栗谷計画による事業は「栗谷事業」と呼ばれた。
(1)事業期間を74年から81年までの 8年間とする。
(2)政府の経済開発計画順期と一致 するように計画を推進する。
(3)基本戦略は韓米連合抑制戦略に 置く。
(4)戦略概念は、韓米軍事協力体制 の維持、在韓米軍の継続駐留保 障、現休戦状態の最大限延長、 防衛戦力の優先的発展、自主的 抑制戦力の漸進的形成などとす る。
(5)国防費はGNPの4%水準を維 持する。
(6)8年間の戦力投資費は15億26 00万ドルと計画する。
(7)戦力投資増大のため、運営維持 費を最大限節約する。
(8)防衛産業を育成して独自の生産 基盤を構築する。
(9)戦力増強の優先順位は、抑制戦 力、空軍力、海軍力、予備軍武 装化の順とする。
栗谷事業は秘密維持のため国会の予算審議を受けないようにした。
栗谷事業は、青瓦台の「5人委員会」(大統領安保担当特補、経済担当特補、政務秘書官、経済1首席、経済2首席、各軍の参謀次長が背席)が統制した。国防部にも「5人委員会」(後に10人委員会)が監督した。韓国政府は米国との摩擦回避に腐心した。米国は、韓国軍が米国の統制から逸脱しないよう監視してきた。 (つづく) |