第1句の「常」は天皇の旗を意味する。2番目の句の「有」は肉の御供えを意味する。「布」は、天皇の心地を天地のすべての神々に知らせるという意味だ。3番目の句は、天皇が治めている全ての領域を指す。
香具山は、固有名詞法をもって解かねばならない。祭祀用の香を具(そな)えておいた山という意味だ。6番目の句の「怜」は「賢い」、「怐」は「愚かだ」、「蜻」は「トンボ」である。最後の句の「能」は二つの意味を持つ。「和睦する」と「きっと~する」の意味だ。郷歌の制作法によれば、二つ以上の働きをする文字を多機能文字という。
ある日、舒明天皇が香具山に登った。山へ登った目的は祭天(天を祭る行事)の儀式を執り行うためだった。
頂上に旗(常)が立てられていた。庭が作られており、田舎の庵のような村が作られていた。山の上に何人かの人々が住んで、天皇に代わって祭天の儀式をとり行っていた。今の神官ではなかったかと思う。
その日、神官たちは肉を供え、人々(等)に笛を吹かせ(吹)、ともに(與)音律(呂)を演奏しながら、天に、天皇の願いごとを告げた(布)。
香具山は、大和三山の一つである。大和三山とは、香具山、畝傍山、耳成山で、今の奈良県にある小さな山である。
このような文化は倭国にのみ存在したのではない。韓半島の古代国家の伽耶にもこのような山があった。現在の慶尚南道金海市にある龜旨峰と似ている。龜旨峰の頂上にも庭があり、香具山の上で行ったように、祭天の儀式が行われていた。
低めで平らな庭のある山の上で、祭天の儀式を行う文化は、日本列島と韓半島にあった古代国家に共通の文化だったはずである。日本にあるいろいろな神山を調べて見てほしい。香具山のような機能をしたはずだ。
郷歌は単なる歌ではなく、天地神明を感動させて願い事を叶えて下さる力を持つ歌だ。
舒明天皇はこの日、山に登り、山の上に住む神官たちに音楽を演奏させながら「(大和を)民がむつまじく生きる国にしてくださるよう」と天地神明に祈っていた。
2番歌に込めた舒明天皇の念願は叶った。統治者たちは「和」を最高の国家理念の一つとして頂いた。上下が和合することは、昔も今も頂くべき最高の価値である。
万葉集の4516首の入り口の作品として全く不足がないと言える。
万葉集に込めた舒明天皇の念願(万葉集2番歌)
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