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2023年01月11日 11:01
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新解釈・日本書紀 応神<第66回>
伴野 麓

(83)韓国の史書には王仁の記載はない

 古事記・日本書紀は、王仁を「百済の人」と伝えるのみだ。韓国の史書には、王仁の記載はほとんどないに等しい。朝鮮朝時代の『海東繹史(かいとうえきし)』という書に、『和漢三才図会』という日本の文献から引用した王仁の事績が紹介されているにすぎず、その内容も『記・紀』の内容を超えるものではない。
松下見林(まつしたけんりん)著『異称日本伝』には、次のように述べられている。
「王仁は漢高帝の後裔であり、阿直岐(あちき)を介して倭に渡来、菟道推郎子(うじのわきいらつこ)らに孝経・論語を教えた。これが倭における儒教の始まりであり、仁徳の即位を祝う『浪速津に咲くやこの花、冬ごもり、今ははるべと、咲くやこの花』という歌を詠んだことから、『歌の父』とも賞され、死んでは牛頭(ごず)天王と合祀された」
牛頭天王とは、スサノオ(素戔鳴)のことだ。大阪市には「王仁の里」といわれる大仁本町の近くに素戔鳴神社があり、通称、八坂神社と呼ばれている。その境内に摂社として王仁神社があり、スサノオと王仁が合祀されたというわけだ。難波(大阪市)には、王仁ゆかりの社が少なくなく、各地にも王仁の伝承が残されている。
佐賀県神埼の竹原地区に鰐(わに)大明神社が鎮座する。この神社は海を渡って来る人々の安全を祈るために建てられたものと伝えられている。境内には王仁石像や王仁天満宮と刻まれた石碑があり、王仁は、この地を経て河内へ入ったのではないかと見られている。竹原地区のすぐそばに、卑弥呼の宮城跡とされる吉野ケ里歴史公園がある。
大阪府枚方市藤阪元町の通称、墓谷(はかだに)というところに王仁公園がある。公園の中には、王仁墓と称するものが2カ所ある。王仁の墓がなぜ、そこに造られたのかについて確証はない。江戸時代の1731年(享保16)、京都の儒学者である並川五一郎が、枚方市禁野和田寺の古代の記録から、藤阪御墓谷に王仁の墓地があるということを知って、その地域を踏査して自然石の立石を発見した。これを王仁の墓としたのである。
また、大阪府松原市岡町には王仁聖堂跡がある。王仁がこの地を中心に、多くの人に論語などを教えたとされる場所だ。竹内街道に近く、付近には宮池・宮谷・宮内・大門下などの地名が残っている。
大阪府富田林市栗ケ池町には王仁池があり、仁徳朝に王仁によって築造されたと伝えられている。奈良市帯解町には王仁池、和珥池がある。日本書紀・神武紀にも「和珥坂」の記載があり、古事記には仁徳朝に和邇池が築造されたと記している。
それらの故事は、一般に王仁が築造したと伝えられているが、王仁は学問のみならず、農業においても多くの影響を与えたということだ。和邇大神なども王仁を指す場合もある。

2023-01-12 6面
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