金基炳・ロッテ観光開発会長かつ韓日協力委員会理事長(87)=写真=は、「生涯を捧げて祖国に報いる」との信念の持ち主だ。韓日関係の発展に尽力する理由もそこにある。ソウル光化門にある金会長の事務所を訪ねた。
(ソウル=李民晧)
日本政府からの旭日中綬章受章について。
「このような栄えある章を授けてくださった日本と、韓日関係の回復に尽力している韓国の双方に感謝しています。両国関係の発展と相互理解、協力の促進に向けてさらに邁進するきっかけであると捉えております。私は2022年、韓日協力委員会理事長に就任して以降、当時冷え込んでいた韓日関係の改善に貢献したいと常々考えてきました」
複雑な両国関係を背景に、困難な局面もあったのでは。
「理事長に就任して間もなく、尹錫悦大統領の就任式が執り行われました。その際、祝賀使節団として訪韓した中曽根弘文氏ら日韓協力委員会の幹部に対し、『現在の韓日関係は、人命にたとえるなら瀕死の状態にある』と伝え、関係修復への端緒を見い出すべく働きかけを始めました。私は、硬直化した韓日関係を打開するためには、日本の政界において影響力を有する人物の訪韓が決定打となると考えました。麻生太郎元首相(当時は自民党副総裁)に面会を申し入れたのも、その一環です。初対面の場で、麻生氏は厳しい見解を示されました。『韓日関係が悪化すれば、自身の政治生命はおろか、社会全体に多大な影響を及ぼす。気温が氷点下45度でも地表は3センチ以上凍らないが、現在の韓日関係は数メートルにわたって凍結している』というものでした」
そうした膠着状態を、どのようにして打開されたのでしょうか。
「以後、両国を数十回にわたって往復し、リレー形式での会合を重ねました。麻生氏の意向を受け、渡辺秀央顧問が訪韓し、(金会長が創立)美林女子高校やロッテ観光本社を会場に、2泊3日にわたる会談も実施されました。麻生氏の訪韓実現に向けて、文字通り全力を傾注しました。その過程で私が一貫して訴えたのは、『韓日関係の改善は、日本の利益に資するものであり、ひいては自国のためである』という信念でした。その結果、22年11月2日、麻生元首相と尹錫悦大統領による会談がついに実現しました。私が麻生氏に対し、『韓国に来て、ぜひ複雑に絡まった韓日関係の結び目を解いていただきたい』と要請してから、ちょうど6カ月が経過したタイミングでした」
麻生氏の訪韓は当時、両国の報道機関でも大きく取り上げられました。
「表舞台にあまり姿を見せない麻生氏が訪韓したこと自体、関係者の間に少なからぬ驚きを与えました。会談は当初予定されていた40分を大幅に上回り、80分間にわたる対話となりました。その様子を見守りながら、ようやく絡まった糸がほどけていくのを実感し安堵しました。1週間後にインドネシア・バリで開催された韓日首脳会談では、両国首脳が笑顔で握手を交わし、友好的な雰囲気のなかで会談が行われました。1カ月前のニューヨークでは、尹大統領が岸田文雄首相の宿泊先を訪ねたものの、玄関先での短い挨拶にとどまるなど、両国間には冷え込みが見て取れました。それが一転、関係改善へと舵が切られたのです。その後の推移は周知のとおり、韓日関係はかつてないほどの好転を遂げました」
李在明政権の発足によって韓日関係が後退するのではないかとの懸念も聞かれます。
「私は現状を前向きに捉えています。尹錫悦政権が土台を築いたのであれば、李在明政権はその基盤の上に実質的な前進を重ねていくものと見ています。実際、16日と19日にソウルと東京で催された国交正常化60周年記念式典も和気あいあいとした雰囲気の中で終えることができました。それと同様に両国は今後、具体的な協力プロジェクトを進めていくことになるでしょう。李大統領は就任演説で『強固な韓米同盟を基盤に、韓米日三国協力を深化させ、周辺国との関係も国益と実用性を重視して構築していく』と述べており、その方針は対日外交にも通底しています。日本との安定的な関係構築は、韓国の国益に直結するものであり、石破茂首相も韓日関係の更なる発展を望んでおられます。両首脳の基本認識が一致しているはずです。官民双方における交流と協力が一層活性化していくと確信しています」
※水嶋光一駐韓日本大使は24日、金基炳会長の叙勲伝達式および祝賀レセプションを大使公邸で開催した。日本政府が長年にわたり韓日関係の橋渡し役を果たしてきた金会長の功績を評価していることを示したものだ。
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