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2021年12月11日 00:00
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古代史万華鏡クラブ 「私説・骨董で学ぶ古代史(1)」 馬からみた韓日古代史
第20回紙上勉強会

講師:勝股 優

 このところ4回にわたって韓国の旅の思い出を、古代史をからめて書いてきた。韓国の古代史は大陸と接する国際性ゆえ奥が深い。旅を終えた後、買って来た骨董をながめながら日韓の古代の歴史に思いを馳せるのも私の楽しみだ。
 土産にするのは骨董品だけじゃない。米も外せない。韓国の穀倉地帯、全羅道の米は戦前の日本で一番高く湖南米というブランド米だったと聞く。モチモチとして、まるで蒸したようでうまいのだ。蒸した米といえば、朝鮮半島から伝わり5世紀に普及した竈(カマド)により米は煮る「粥」から蒸した「飯」が主流になる。美味い米や素材の味が上がる台所革命は古代人には鮮烈な驚きだったらしい。日本各地の古墳からミニチュアのカマド型土器が発掘されていることからも、古代倭人のカマド愛がうかがわれる。
全羅道の米の土産話をしていたら脱線した。本題に戻そう。
まずは下の写真を見てほしい。馬が2頭いる。どちらも造形的には稚拙だが素朴で可愛らしい。黒い馬は高温で焼かれた陶質土器で1500年前、鞍つき馬は青磁だから高麗時代の物か。本物であればの話だが、眺めていると半島と倭の馬の古代史に興味がわく。
3世紀の邪馬台国や半島と周辺国のことを書いた魏志東夷伝で、馬関係の記述を調べてみた。
・夫余(高句麗の北)=官吏の役職に馬加というものがあり馬が管理されていた。名馬を産するとの記述もある。
・高句麗=王は乗馬が達者で狩猟が得意。
・東沃沮(高句麗の東)=牛馬が少なく戦いは徒歩でおこなう。
・挹婁(東沃沮の北)=牛馬を産する。
・濊(半島北部の東海岸沿い)=果下馬が特産で後漢の皇帝に献上。戦いは徒歩が得意。
・韓=馬韓は牛馬を乗用には使わず副葬してしまう。弁韓は牛馬に乗ったり車を引かせるという記述がある。辰韓に馬の記述はない。
・倭=牛も馬もいない。
夫余と高句麗は3世紀当時、明らかに騎馬民族であるが、他はそうでもない。本来、南方系農耕民族であった三韓や倭が馬に目覚めるのは4世紀の高句麗の南下侵攻が契機になった。騎馬隊の脅威を知ったからだろう。国家存亡の危機に、短時間で馬によって活路を開こうとしたのだ。唐の記録では「新羅は馬が多い」に変わっている。16世紀のことだが、馬のいなかったインカ帝国を、たった180人のスペイン騎兵と兵隊が征服した。そこに鉄砲があったとはいえ、騎兵隊は戦車のようなものだったろう。倭にも同じことが起きていたかも。騎馬民族征服説だ。
 倭の馬文化も5世紀ごろ始まる。繁殖に必要な沢山の馬をどうやって運んできたかは謎だが、馬飼いも一緒に来て河内に牧場を作り、信濃や関東へ広がる。6世紀には半島に馬を逆輸出するまでになる。日本は意外にも草原が多く半島より馬の飼育に適していた。江戸時代の話だが、千葉県佐倉市にあった牧には4000頭の馬が放牧されていたという。
倭にやってきた馬はモンゴル種だが、半島の東海岸にあった濊の果下馬が興味深い。果樹の下を乗ったまま歩ける背の低い馬のことだろうが、現在日本にいる在来馬(品種改良されていない馬)である対馬の対州馬は体高(肩から蹄まで)が127センチというから果下馬の系統かもしれない。大きな顔に胴長、短足。対州馬の眼は豊円(大きくて丸い)と例えられるが、私の骨董馬と一緒だ。
日本の在来馬では木曽馬が124~142センチ、宮崎の御崎馬が125~138センチで中型だが、これはモンゴル馬サイズだ。河内の遺跡から発掘された古墳時代の馬は120センチであったという。品種改良が進み、騎馬軍団が有名な武田信玄の愛馬は147センチ。織田信長の愛馬・星河原毛は136センチと小型だがスタミナがあったという。大名間の贈り物では150センチを越えるものもいたようだが、戦国時代の馬は現代で言う148センチ以下のポニーだった。
私には長年の謎がある。日本では明治まで馬にはあたり前の蹄鉄が使われず蹄を保護する馬用のワラジを履かせた。広重の浮世絵にもその姿が描かれている。これだと2キロメートルほどしか保たないため頻繁な交換が必要だったから映画のような長距離の疾走は無理だ。チンギスハンの兵隊が10頭以上の替え馬を持っていたというのはそのためか? 日本の騎馬隊は馬を降りて戦ったという説もある。これに対し、モンゴル種の蹄は硬く強いため十分走れたという説もあるがどうだろう。韓国歴史ドラマで百済の技術者が蹄鉄を作ったという話を観たような覚えがあるが、蹄鉄がついたのはいつなのだろう。このあたりのことを知っている人がいたら教えてほしい。

写真上=サキタマ古墳群の稲荷山古墳展示室にあった古代の東国の騎馬兵模型。延喜式によると平安時代、関東に26カ所、信濃に16カ所もの牧があった
写真下=私の自慢の馬型土器。ソウルの踏十里骨董街で購入。店が多く大衆的で楽しい買い物ができる

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。

2021-12-11 6面
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