朴正煕大統領が米国と西ドイツを訪問した後、対外開放と市場機能の活性化を本格化した。そのとき、韓半島の北はどういう状況だったか。
スターリンの傀儡だった金日成は、スターリン格下げ運動(1956年2月、ソ連共産党第20次全員会議)後、決定的な失脚危機に追い込まれたが、延安派やソ連派などの政敵たちを無慈悲に粛清、1人独裁体制を構築した。
正常な高等教育を受けなかった金日成は、南侵戦争の敗戦から、ソ連や東欧を模倣、先重工業・後軽工業路線を標榜、軍需工業(戦争準備)に拍車をかけた。金日成は、中ソ対立、韓国で5・16革命による反共軍事政権の登場、そしてキューバの危機(62年10月)などの国際情勢が変わるや、外部の支援なしに戦争ができるよう4大軍事路線を追求するようになる。
金日成は62年12月10日、労働党中央委員会第4期5次全員会議を開き、「国際情勢と関連した国防力強化問題」を討議し、「人民経済発展において一部の制約があっても、先に軍事力を強化せねばならない」と強調、「軍事優先政策」の下、「4大軍事路線」を実践方途として採択し宣言した。
4大軍事路線とは、韓半島の地形の特殊性と南侵戦争の教訓に基づいて、第一に、人民軍と共に労働者、農民をはじめ全労働者を思想的、軍事的に武装する全人民の武装化、第二に、自然・地理的条件に合わせて北韓全域を軍事施設化しトンネル化して鉄壁の要塞にする全国土の要塞化、第三に、すべての軍人が有事の際、一等級以上の上位の職務を遂行できるようにする全軍の幹部化、第四に、人民軍を現代的兵器で武装し上手く取り扱い、現代的な軍事科学や軍事技術を習得するようにする全軍の近代化を指す。
北韓は60年代に「4大軍事路線」によって、3カ月間の戦争持続ができるように弾薬、油類、食料などを備蓄し始め、軍事費を大幅に増額し、ゲリラ部隊である「特殊8軍団」を創設する一方、自力で武器を生産し始めた。4大軍事路線により、平時にも人口の5%が現役兵力を保持し、予備兵力を合わせれば全人口の3分の1が武装した史上類例のない兵営国家となった。
金日成は、70年11月の労働党5次大会で「4大軍事路線を積極的に推進して全人民が銃を持ち、全地域が要塞化され、自立的工業基地が創設され、自力で防御に必要な現代的武器を生産できるようになった」とその成果を評価した。
この兵営国家路線で、80年代には機械化軍団などを創設、奇襲攻撃能力をさらに強化し、予備戦力を正規軍レベルにすることで動員態勢を強化し、スカッドミサイルなどの精密兵器を開発し始め、現代戦能力を強化するなど、4大軍事路線に邁進した。今も軍事強国や核開発路線を4大軍事路線によるものと宣伝している
国家予算の30%以上が4大軍事路線のための軍事費に支出され、さらに、航空機などの自力では生産不可能な武器の輸入のために、食糧を輸出してきたため、北韓は慢性的な食糧不足に陥った。食糧不足による慢性的栄養失調は、やがて住民の身体矮小化をもたらした。
韓国は経済発展に伴い国民の平均寿命が急速に伸び、身長も大きくなった。反面、北韓は、東西冷戦でソ連と東欧社会主義圏が消滅するや配給体系が崩壊し、19世紀後半の朝鮮ように流民が急増した。金正日は、金日成邪教暴圧体制と「第2経済」の維持のため住民を犠牲にした。「苦難の行軍」で年間50万人の人民が餓死した。
(つづく) |