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2021年04月14日 00:00
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古代史万華鏡クラブ 「半島からの渡来品 5つの工夫
第13階 紙上勉強会

 日本人はオリジナリティには欠けるが、工夫や改良には長けていると思ってきた。しかし現在のコロナ禍の対処をみると、どうなってしまったのか。すべて後手後手で工夫なし。ドライブスルー検査の発想もなく、デジタル面でもひどく遅れていることが解ってしまった。
日本(倭)は古来、大陸から伝わった先進の文化、技術に工夫・改良を加えて吸収、国家の骨格を形成してきた。今回は現在の状況を反省しながら、その歴史を振り返ってみたい。
写真1
 これまで何回も書いてきたように、狩猟・漁勞を中心とした縄文文化は大陸文化の伝播によって大きく変革した。その牽引力となったのは朝鮮半島からやってきた渡来人だ。
我々日本人は多くの文化・技術を中国から学んだと教わった。これは一部違う。中国との交流は意外に薄かった。倭国や卑弥呼、台与の朝貢は記録に残るが、その後の「倭の五王の讃(応神か仁徳)」の朝貢までの一五〇年間交流はなく、さらに「五王の武(雄略)」の最後の朝貢から遣隋使の派遣までの一二〇年間もまた国交が途絶える。遣唐使にしても二六〇年間で長安に到達できたのは十二回。難破が相次ぎ使節全員が無事帰国できたのは、たった一回。優秀な人材が失われた。せっかく学んだ文化や技術も水の泡だ。利口な留学生は安全な新羅船で帰国した。
これとは対照的に、半島との交流はきわめて盛んであった。飛鳥や白鳳、天平文化はその交流で生まれた。記録に残る統一新羅との正式な交流だけでも7世紀末から新羅使は四十五回、日本からは三十一回も往来している。
養蚕・機織り・製紙・牧畜・馬具・皮革加工・染色・金属器・鍛冶・武器・農具・大工道具・製陶・灌漑・土木・農業・建築・造船・医術・薬事などは半島を経由して伝わった。漆器だけ日本オリジナルと認められている。「ジャパン=漆器」だ。文化面では仏教・文字・律令・暦・絵画・楽器……数え上げたらきりがない。
ここからは現在の状況の反省を込めて「私的”気になる、渡来品五つの工夫”研究」だ。
写真2
・カマド(竈) 煮炊きの大革命は半島南部の加耶から3世紀に日本に伝わった。それまでの炉(囲炉裏)とは格段の燃焼効率の違いで、5世紀後半には工夫を加え国中に普及したらしい。オンドルも伝わったようだが、なぜか普及せず残念。
・製紙 日本書紀によると製紙技術は六一〇年に半島から伝わった。写経に必要だったし、それで戸籍も作れるようになった。私の故郷の美濃和紙も韓国の誇る高麗紙に学び生まれたのであろう。余談だが、正倉院にある有名な鳥毛立女屏風の下張りに使われた古紙は、新羅から届いた輸入品を朝廷の貴族が買おうとした注文書だったというから面白い。
・陶器 これこそ古代から李参平の有田焼誕生までの半島との関係史だ。まず半島から軟質の土師器、5世紀初めに高温で焼かれた須恵器が伝わった。私の故郷の志野焼きも、半島のような白い陶器を作りたいという工夫から生まれた。
・馬 馬は4世紀末から5世紀初頭に百済か加耶から馬飼集団とともにやってきた。十頭、二十頭では近親交配を起こすため百頭、千頭単位の移入が必要だった。しかし当時の船は小さい。牛なら座らせることができるが、馬は立ったままで暴れるから難儀だ。
古墳時代、高級な石棺素材として熊本・阿蘇の石が珍重され、筏ではるばる畿内まで運んだようだが、玄海灘を筏で横切るのは無理。どうやって運んだのだろう。工夫を知りたい。
当時の日本には草原が多く、よほど飼育環境が合ったのだろう。5世紀末には日本産の馬を半島に輸出するようになる。
・鉄 人類と鉄との出合いは四千年も前の中央アジアに遡る。宇宙からやってきた隕石鉄で鉄器を作った。
なんでも発明した中国で、鉄が使われ始めたのは意外に遅く紀元前5世紀。凄いところは、いきなり鋳物を作ってしまったこと。鉄を溶かすためには千五百度(純鉄の場合)まで炉の温度を上げることが必要で、それを即解決したのだ。驚くべきことに、欧州で鋳物を作ることができるようになるのは17世紀だ。
一方、半島に鋳物作りが伝わるのは紀元前1世紀頃だが、日本は炉が作れず伝わらなかった。その代わり半島から調達した鉄材(鉄鋌)を使った鍛造技術が進化した。二千年以上鍛冶屋が叩いて叩いて工夫し、丈夫な農具や切れ味鋭い日本刀や現在世界に誇る包丁や剃刃を生んだのだ。いわゆるローテクのハイテク化である。半島に学び、日本人の工夫・改良という特技が長年日本を支えてきたのだが……。

写真1:胴長・短足の埴輪の馬。渡来馬は、体高(肩からヒズメまで)は120センチ程度でその特徴を表す。日本には蹄鉄は伝わらず、江戸時代まで藁沓を履かせた。早足で2キロも歩くと交換せねばならず、ドラマのような疾走は無理だったという説がある

写真2: 埼玉県の稲荷山古墳から、5世紀末の雄略天皇を守る武人の来歴を書いた金象嵌鉄剣が見つかった。倭では5世紀に製鉄が始まったが当時は金が採れなかったので、倭と半島の素材を使用した剣といえる(写真=埼玉県立さきたま史跡の博物館HP)

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。

2021-04-14 6面
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