政府主導の人口増加抑制の効果はすぐ現れた。1950年末の人口増加率は57年2・8%、58年2・7%、59年4・6%と記録された。家族計画事業が始まった62年から5年後の67年の人口は3013万人、人口増加率は2・34%だった。その後、人口増加率は急速に低下する。
70年は人口3224万人(人口増加率2・18%)、77年は人口3641万人(1・56%)、80年には3812万(1・56%)、87年が4162万(0・99%)、90年は4287万(0・99%)を記録、韓国の人口増加が画期的に抑制されたことが分かる。
朝鮮王朝以来の男尊女卑の伝統の韓半島で、女性の地位を決定的に向上させた指導者を挙げるなら2人だ。李承晩建国大統領が、選挙権をはじめ、国防の義務(軍義務服務)を除くすべての分野で女性に対する差別(区別)制度をなくしたことと、朴正煕大統領が息子と娘を区別せずに2人の子供だけを訴えた政策は、男尊女卑の固陋な枠を解体し、女性の政治、社会、経済的地位を決定的に向上させた。
解放後も世帯当たりの子供の数が5~7人以上だった時代には、経済的に余裕のある家庭でも普通、息子だけが高等教育が受けられた。貧しい階層では、高等教育を受けられたのは息子たちの中でも長男だけに許された特権だった。70年代になっても、農村はもちろん、都市でも娘には高等教育をさせない親が多かった。ところが、所得が増え、政府が義務教育を拡大、政府の方針で2人子供を持つようになると、娘たちも息子と同等に高等教育を受けるのが当然となった。つまり、韓国で女性の地位向上は、女性自身が勝ち取ったものというより、女性の地位向上のために革命的な決断をした李承晩と朴正煕大統領のおかげだと評価しなければならない。
スターリン主義の北韓は逆だった。金日成は多産を奨励した。金日成はたくさん出産した女性を英雄と言った。理由は、労働力と軍事力を確保するためだった。金日成は、韓国を武力統一するためには人口を増やさねばならないと主張した。まず兵力のため、韓国の半分以下の人口を大幅に増やせ、と言った。今も成人人口の5%が現役兵力の北韓は、歴史的にも稀な兵営国家だ。金日成王朝は、韓国よりも圧倒的な兵力を維持するため軍服務期間を韓国の3~4倍にし、女性も徴集した。
現役の5倍以上の予備兵力も、現役に準ずる武装と訓練を維持してきた。非効率的な社会主義体制の下で、10年以上の軍服務期間のため、軍需工業以外の全産業分野の労働力が極端に不足している。それで、大規模の建設事業は、膨大な兵力を持っている軍隊が担当、動員されるようになった。
北韓女性は社会主義体制の下、徹底的に搾取された。労働は男性と同等の義務を強いられ、家事は男尊女卑の封建的伝統が維持されているからだ。しかし、後のことだが、金日成王朝の多産と人口増加政策は凄絶に失敗する。韓国を武力統一する政策路線のためだ。
北韓は70年代から食糧を輸出、武器を輸入したため、慢性的な食糧不足に陥った。劣悪な医療体系と慢性的な食糧不足は、北韓住民の身体矮小化をもたらした。もはや、高い出生率は維持できなくなった。ついに、金正日時代に歴史的な悲劇が起きた。すべての資源を核ミサイルの完成に投入し、敵対的な階層への食糧供給を中断した結果、90年代に人口の15%ほどが餓死した。金正日は自分が核武装の完成のため人民を犠牲にしたことを認めた。
(つづく) |