韓国人の「公」や「正義」は局面によっては、派閥の利益しか意味しません。本音と建て前が違うのですが、多くの人は建て前を本音だと信じ切っています。
なぜかと言うに、歴史がそうさせるのです。韓国は大小数えると三十年に一度、外国の侵略を受けています。平和な時には派閥間で内紛をし、殺し合います。一生の間に二度や三度は、命の危険を感じる場所です。天寿を全うするのが困難な地域なのです。だから「安寧ハシムニカ(=意訳すると、無事か?↓生きてるか?)」が挨拶の言葉になりました。韓国人は常に命の危険を感じて逃げ惑ってきた人々ですから、目先のことに反応しがちです。それで韓国人は好きなものから食べ始めます。一方、殆どの日本人は好きなものは後で食べます。しかし韓国でそんなことをしていたら、食べている最中に侵略者がやって来て殺されるかも知れません。だから韓国人は好きなものから食べるのです。
このため多くの韓国人は「公」や「正義」が社会全体のものではなく、自分とチングにしか当てはまらない場合でも、それを無意識の内に主張します。自分たちの主張が通ると、一番最初に得をするのは自分とチングである状況であっても、それを「公」のためだといい、「正義」であると強弁します。韓国を日本の植民地にしたのは、正しくこういう思考法でした。両班は国のために動くべき局面で派閥のために動いて国を失いました。
韓国人はそうやって三千年間、今日だけを生き延びてきました。明日を考えるように変えるのは簡単ではありません。
光州事件の後の韓国では平和が続いています。おそらく今後も平和が続くでしょう。それは歴史上、未経験の時代です。このため多くの人は平和な時代の対処方法を知りません。意識して自分たちの行動パターンや価値観、その問題点を把握しておかないと、日本との関係は悪化したままになるでしょう。加えて世界経済で、ある程度の存在感を示そうとするなら、内部でつぶし合いをしている現状は他国を利するだけになります。競争相手がいる限り自分たちの能力は生かすべきものであり、つぶし合うものではありません。
私が韓国で勤めていたとき、職員集会に呼ばれたことがありました。そこでは誰それを役員にするのはけしからんと、罵声が渦巻いていました。反対の糾弾決議をしようというのです。私は言いました。
「人事権は経営者の専権事項である。それに対し職員である皆さんが介入しようとしている。それをしても良い、あるいは出来るという根拠を教えて貰いたい。根拠がないのなら、あなた方の要求は不当である」
その場に居た百人ほど全員の目が点になりました。そして私は二度と職員集会に呼ばれなくなりました。
その後つらつら考えてみるに、彼らは屁理屈でしかない要求をして、給料の僅かな引き上げを勝ち取ろうとしていたのだと悟りました。別に誰が役員になろうと皆は反対するのです。欲しいのはそれを餌にした譲歩だったのです。これと同じことを労働組合もホワイトカラーもします。他の派閥の者が役員になろうとするときには、つるし上げのような査問会を開いてつぶし合います。これは他国を利するだけの無駄な時間です。つぶし合いで研究開発が遅れた韓国は、ノウハウ料を払って外国から知識や技術を買わなければなりません。韓国式の派閥党争は社会的な損失です。派閥を人類からなくすことは不可能ですが、運用方法は時代によって変えなければなりません。現代において戦乱の時代と同じ事をしていてはロスが多すぎます。会社全体の利益、韓国の国益を考えるなら、派閥が異なる者でも、その人に業務遂行能力がある限りは、その人に協力しなければなりません。他社や他国との競争を勝ち抜くには、それが正義なのです。 |