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2019年11月13日 00:00
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海を渡った先人達<26> 先人6人目 允恭天皇①

鈴木 惠子

 太歳壬子(412年)に即位したとされる允恭(いんぎょう)天皇は、履中天皇や反正天皇の同母弟とされ、壮年になって重い病気を患い、動作もはきはきとは難しかったとあります。天皇の名は、雄朝津間稚子宿禰ですが、まずは、名前の意味を考えてみたいと思います。
雄=男。すぐれた。
朝=朝。朝廷。~の方向へ向かう。
津=渡船場。岸。汗。
間=中間。夜。部屋。こっそり。人に知られない。
稚=若い。ワカ=韓国語で〈来て行く〉という意味。
子=古代男子の美称。
宿禰=先祖は、昔。
これらの意味から勘案すると、「先祖は昔氏で、こっそりと人に知られないように渡船場に向かった、来て行った、すぐれた男」と解釈できそうです。
実は、この名に当てはまりそうな人物が、日本書紀・神功皇后五年(351年)に登場しています。
『新羅王が、毛麻利叱智らを遣わして朝貢した。新羅王は、先の人質<微叱許智伐旱>を取り返そうという気があった。それで、微許許智伐旱に嘘を言わせることにした。<使者の毛麻利叱智らが私に告げて、我が王は、私が長らく帰らないので、妻子を没収して官奴としてしまったと言います。どうか、本国に帰って嘘かまことか調べさせて欲しいと思います>と言わせた。
帰国を許された微叱許智伐旱は、葛城襲津彦に付き添われて対馬に着くと、鰐浦に泊まった。その時、新羅の使者らは、密かに船を手配し、微叱旱岐(=微許許智伐旱)を乗せて新羅に逃れさせた。草で人形を作り、微叱許智伐旱の床に置き、いかにも病気になったように偽った。
やがて、騙されたことに気づいた襲津彦は、新羅の使い三人を捕らえて檻の中に入れ、火をつけて焼き殺した』
この話に登場する新羅の人質、微叱許智伐旱とは新羅本紀・実聖王(在位402~417)の元年(402年)、『倭国と通好した。そのため、奈勿王(在位356~402)の子、未斯欣を人質にした』にある、未斯欣と同一人物と考えられます。微叱許智伐旱の「微叱」と、未斯欣の「未斯」には、「みし」という同じ仮名が振られています。
また、この未斯欣を倭国から取り返す使者として新羅が派遣したのは、毛麻利叱智という人物ですが、「三国史紀・雑志列伝・朴提上」によると、『朴提上は、毛末ともいう』と記されています。
「毛末」は、韓国語の発音では「モマル」です。「毛麻利」は、「毛末」から転化したと考えられることから、毛麻利叱智とは、朴提上のことと思われます。
これらのことから、雄朝津間稚子宿禰(先祖は新羅の昔氏で、こっそりと人に知られないように渡船場に向かった、来て行った、すぐれた男)という名前を持つ允恭天皇は、「宿禰」という昔氏の子孫ということが気になりますが、新羅金氏の奈勿王の王子「未斯欣」と推察され、402年に人質として倭国に来たことが確認できるのではないでしょうか。

2019-11-13 6面
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