尹仁鉉
文世光事件を未然に防げなかった理由の一つは、担当公務員が、日本国内で起きている朝総連の動向に疎かったことがあると思う。
さらに当時は、一日数百件にのぼるビザの申請を、2、3日で処理する能力がなかったことも背景にある。日本の関係機関の協力がなければ、ビザ業務は遂行できないほどだった。文世光は、他人(日本人)名義の旅券で韓国に入国したが、チェックが徹底的に行き届いていれば、ビザ発行の段階で防ぐことができたはずだ。
日本の警察をはじめ、関係機関は絶対的な協力を惜しまなかった。中には上司の指示で仕方なくやっているという人もいたが、ほとんどの公務員は、韓国に親しみを持って協力してくれた。いずれも友好的で親切で素晴らしい能力の持ち主で、日本の公務員の優秀さを改めて見直した。今も心から感謝を込め、彼らのためにお祈りしている。
ところでなぜ、両国の関係は友好的であったのか。韓国にとっては、国際情勢が理由の一つに挙げられる。日本を通して侵入するテロの防止である。
韓国でのテロは、当然ながら韓国政府関連の施設・機関を目標としたものだが、韓国にある米国の関連施設もターゲットとなっていた。日本の各機関の協力がなければ、文世光事件のようなテロ行為が、さらに数件起きていても不思議ではなかった。
当時の韓国内の全ての関係機関は、日本を大切に思い、感謝していた。一部の勢力を除いて親日的であった。経済界でも、特に生産施設は日本の協力なくしてできなかった。
だが、最近では警察を始め、日本の各機関は以前ほど協力的ではない。その理由を正確に知る人はいない。不思議である。
話を文世光事件に戻す。前回でも述べたとおり、事件をきっかけに韓国の対日強硬世論は沸騰。最悪の場合、日本との国交断絶まで考えられた。
日本との関係維持を望む韓国政府は、崔という第2無任所長官特別補佐官を通じ、田中角栄首相に私信を送ろうとした。崔補佐官は、いろいろなラインを通じて田中首相の動向を探り、官邸の私設秘書と接触する。そこで得たのが、田中首相が夜中の1時半から2時ごろの間に必ず起きて居間に行き、それからまた寝室に入るということだった。
そこまでの情報を得たものの、深夜に対面することは至難の業であった。田中首相の秘書の名を明かすことはできないが、崔補佐官は懇切丁寧に事情を説明し、どうにか理解を得ることができた。そしてその日、田中首相が起きてくる時刻に裏門から入り、居間で待っていた。
田中首相は、ちょうど1時半に居間に現れた。そこにはひざまずく崔補佐官の姿があった。田中首相は驚いた様子だったが、秘書官からの説明を受け、朴大統領の私信を快く受け入れたという。
私信を読んだ田中首相は、その場で涙を流し、一言「わかった、ご苦労様でした」と労をねぎらった。
その翌日、日本は断り続けていた対韓使節(当時の自民党副総裁)を朴大統領のもとへ派遣。事件で犠牲となった陸英修夫人の葬儀には、田中首相が列席した。両国の関係は無事、元通りとなった。
私信の内容は誰も知らない。朴大統領と田中首相の二人、そして秘書官しか知らないはずだ。私は、両国の関係は公私を超え、問題を解決しうる能力と知恵を備えたものだと思っている。
(つづく) |