その日の夜から一週間、私はまさ子の家で彼女と床をともにした。昼は工場で仕事をし、夜は彼女の家で寝た。そのうちに彼女の健康は目に見えて回復し、一週間後には以前の彼女にかえっていた。
主人は洋服屋を呼び、服を仕立ててくれた。背広一着は五円もした。靴と帽子も新しいのでそろえた。訳のわからない私に、主人は明日まさ子と結婚式を挙げるから母と話し家族全員集まるようにしなさいと言うのであった。まったく藪から棒だった。
「オモニ、明日まさ子と結婚式を挙げると言って、いろいろ食べ物も取りそろえて大変なんです。どうすればよいのでしょう?」
「とにかくお嫁さんの家の方でそう主張なさってすることだから、あたしたちはただ、それについていけばいいじゃないの」
「でも、オモニ、あまりに出し抜けのことで、本家や分家に別れの挨拶もろくにできないんですから」
「別れの挨拶など別に要りません。あたしたちの生活が貧しいからって、立ち寄ってもくれない人たちに……。それに、二〇歳になるまで縁談一つなかったおまえの今度の結婚を知れば、日本の女と結婚するって後ろ指を差す人たちなんだから」
「でも、結婚式のとき、新郎側に人がいなくて寂しくありませんか?」
「それがどうしたというの。いなければいないなりに、叔母とあたし、そしておまえの姉との三人で行くから、他のことは何も考えることはありません」
「はい、わかりました」
結婚式当日だった。主人側は、七兄弟と彼らの友人たちもあわせて約五〇~六〇人の客が集まり、座は賑わっていたが、私の側はたった三人だけだった。
日本人の結婚式というのは、取り立てて言うほどのものは別にない。膝を折って座り、杯を交わすのがすべてであった。
式が終わると新婚旅行だった。主人が、行き先は近くの温陽温泉(忠清南道)だと言って急き立てた。
「新婚旅行に出かける前に、話しておきたいことがあるから……」
まさ子の母だった。座中のすべての視線が彼女に注がれた。
「他でもありません。あたしは三人の娘を産んで未亡人となり、この娘たちを頼りに生きてきました。長女は結婚して半年後、東京に行きました。それで、寂しく暮らしてきたのよ。今度は次女が嫁にいくことになって、実は侘しくてなりません。それで、先ずあたしどもの家で一年暮らしてそちらに行って下さればと思うの。柳さんのお母様のお考えはいかがなものでしょう?」
皆、母の返事をじっと待った。母は初めての嫁なので楽しみにしていたところ、意外なことに一年間実家で新婚生活をして欲しいと言われ、ただぼんやりと宙を眺めた。沈黙が続いた。 |