日本でもカストロ流を称える者は少なくない。共産党の立場では非常にありがたく、「役に立つ」人々たちだ。彼らはチェ・ゲバラやユーゴのチトー、毛沢東や鄧小平も称える。彼らは偽善者である。その理由は、実際にキューバ、ユーゴ、中国へ行って住もうとはしないからだ。
この点で、朝総連組織に忠誠を誓う者も、愚か者か偽善者だといえる。「首領」は称賛しながら、北韓で暮らそうとはしないからだ。実際に、「在日同胞の代表」として平壌の最高人民会議代議員に指名された朝総連の幹部(22人)のうち、自ら平壌へ行って住みたいと願い出た者は一人もいない。逆に、朝総連幹部が日本での権力闘争に敗れ、北に召還されるとそれこそ粛清だった。
朝総連に北の最高人民会議の代議員が割り当てられ始めたのは1967年の第4期最高人民会議からだった。当初の人員は7人。以来、第10期まで7人、第11期(2003年)と12期(2009年)は6人、そして第13期(2014年)は5人に減った。
北韓政権の最高人民会議代議員数は、概ね人口3~4万人に1人である。第4期(1967年)は4万人あたり1人、13期は3万人あたり1人の割合だ。1967年に朝総連に7人が割り当てられたのは、当時の朝鮮籍が30万人程度だったことを反映したものだ。
ところが、朝総連勢力が急速に減少しても、平壌は朝総連枠の最高人民会議代議員を減らさなかった。おそらく、人数を減らすと朝総連の勢力が減っていることを認めることになるうえ、朝総連から搾取するには、代議員を膨らませることが有利と判断したはずだ。朝鮮籍が1960年代の10分の1以下に減少した今、代議員はせいぜい1人であるはずなのに、朝総連にはまだ5人も割り当てられている。これは朝総連事業の失敗と「労働党の在日党」の消滅を認めたくないためだ。
平壌側が朝総連に期待するのは何だろうか。規模から見て、以前のように朝総連を搾取の対象として期待するのは難しくなった。実際に各級学校の教員や傘下団体の活動家たちはもちろん、朝総連中央本部を維持するための月2~3000万円程度の経常費の調達にも苦労している。学校の場合、同窓会や青商会に依存しているが、これは持続可能な方案ではない。もちろん、このすべては平壌の首領や労働党が朝総連系同胞、特に商工人から徹底的に搾取してきたためだ。
朝総連組織はすでに労働党の在日党としての体制を失った。平壌の労働党組織指導部も、もはや在日党の存続は難しいと判断しているはずだ。だが、やはり70年間以上建設・維持してきた革命組織を放棄するのは耐えがたい。
では、朝総連組織を維持すべき目的は何だろうか。考えられるのは、非合法工作インフラとしての価値だ。平壌によって養成された少数の忠誠分子が残っている限り、「科協」や朝鮮大学校のような拠点が残っている限り、学習組を中心としたスパイ組織としての朝総連は諦められない。最終的にはテロ政権の自爆道具として利用できるためだ。
『北から来た工作員の物語‐誰も私を(当局に)通報しなかった』という本がある。1981年から1995年まで労働党対外連絡部所属の対南工作員だった金東植が書いた本だ。金東植は日本から韓国に浸透し、朝鮮労働党中部地域党を作った。「お婆さん工作員」の李善実(労働党政治局候補委員)を1990年の秋に平壤へ帯同復帰し、共和国英雄称号を受けた労働党の最高エリート工作員だった。彼が書いた本は対南工作員にどのように選抜され、どう訓練されたのかなど、対南工作の全貌がわかる内容だ。
この本は、対日工作に関しても触れている。朝総連が日本国内でどのような工作をしているのかを知る手がかりが多い。まず、工作員の身分をどう盗むのか。李善実が全州出身の申順女一家をどうしたのか。彼らは、辛光洙に拉致された原敕晁さんのように、北に強制連行された。
工作員が工作船で日本に浸透する地域情報をどう得るか、土台人をどう獲得・管理するかなどが推定できる。朝総連の協力者たちがどのような教育を受けるのかもわかる。金正日の命令で、ソウル五輪を阻止するため大韓航空KE‐858機を爆破した金勝一‐金賢姫工作組が使用した蜂谷真一と蜂谷真由美の日本旅券には国際予防接種証明書まで偽造されていた。このような情報を収集できるのは、朝総連か日本に居住する工作員でしかない。(つづく) |