先日、韓国の中央日報に、リー・クアンユー首相の逸話が掲載された。朴正熙大統領に最後に会った外国首脳がリーであり、韓国の農村風景を見て感嘆したという内容だった。
リー・クアンユーは朴正熙をモデルの一人とした。「開発独裁」などと揶揄されもしたが、その政治手腕が畏敬をもって評価された点は共通していよう。
国に資源がないことでも両者は共通していた。国土も狭い。だから経済を振興させた。最初は軽工業から、そして重工業へ。国民の教育水準を高め、貿易に活路を見出した。
リーが尊敬する政治家は鄧小平と吉田茂、そして朴正熙だったといわれるが、残した遺産はその誰よりも大きいかもしれない。後発国であったシンガポールは、今や国民一人あたりのGDPではアジアトップになっている。
困難がなかったわけではない。むしろマレーシアから追放される形で、絶望に涙しながら建国に臨んだ。華人とマレー人の反目が、いつ政情不安に飛び火するかわからない不安定さもある。
「国父」リーは、国民に愛された。3月29日、雨のシンガポールは悲しみに包まれた。棺を乗せた車を見送った人波は15キロに連なった。「リー・クアン・ユー」の掛け声は途切れなかった。
くしくも今、韓国では朴正熙の娘が、シンガポールではリーの息子が国のトップになっている。国葬に臨んだ両者の胸に去来した、それぞれの父の像はどのようなものだったか。超えようと思っただろうか。その高い山を。 |