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2015年01月01日 00:00
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<韓日修交50年(中)> 国民同士の交流深めた文化

「冬のソナタ」で主演を務めたペ・ヨンジュン(左)とチェ・ジウ
 国家間の交流の土台となるのは異国民同士の交流だ。今はインターネットや電話が発達し、異国に住む友人と連絡を取るのは容易になった。しかし、その国を直接訪れて見て食べて、友人や知人と楽しむこと以上の交流はない。
訪韓日本人と訪日韓国人はともに、右肩上がりで推移している。特に訪日韓国人は2回、急増期を経験している。海外旅行が自由化された1989年と、90日以内ならノービザでの渡航が恒久化された06年前後だ。
ノービザは02年のサッカーW杯を契機に30日間の試験的措置が取られ、その後段階的に90日までのビザ免除が続いていた。その結果、91年から01年までの10年間で約1万人から1万3000人と微増だった訪日韓国人は、01年から11年までの10年間にほぼ倍増した。
なお、韓国政府は日本人に対して94年から15日以内の滞在に限ってビザ免除を実施。99年2月からは滞在期間を30日まで拡大していた。90日間のノービザ恒久化は日本と同じく06年だ。2000年代になると韓日定期便も運航されるようになった。ビザの免除とアクセスの良さが両国の人的交流活性化の土台にあったのは間違いない。
訪韓日本人は80年代後半に最初の急増期を迎えている。これはソウル五輪の実施もあるが、団体旅行で韓国を訪れる日本人男性が多かったためだ。
ただ、2000年代に入ると韓国旅行のイメージはがらりと変わる。いわゆる「韓流」ファンの女性の訪韓が圧倒的に増えたためだ。しかし2010年代に入ると落ち込みが目立つ。韓流ブームが去ったことが原因という指摘が一般的だ。
日本人客でにぎわう明洞(07年撮影)

一方、訪韓日本人の減少をレートのためと見る旅行業界関係者は少なくない。2000年代後半からの約10年間、訪韓日本人が増えている年は訪日韓国人が少なく、訪日韓国人が多い年は訪韓日本人が少ないという統計が出ている。
また、韓国では90年代に日本への渡航ががたんと落ち込んでいる。これは国家レベルの経済危機があったためで、08年の落ち込みもリーマン・ショックのあおりを受けたものだ。2011年は東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故で東日本への渡航が避けられたが、おおむね経済事情が訪日韓国人数を左右しているとみていい。
2000年代になって増減が激しくなったものの、今や年間延べ500万人以上が両国を往来している。50年前の200倍になっているのは驚くべきことだ。

JR新大久保駅周辺にファンは集まった(09年)
 日本における韓国のイメージを変え、あるいは定着させたのは、眼鏡をかけた物腰柔らかそうな一人の男だった。2000年代前半から始まった「韓流」ブームの火付け役、ペ・ヨンジュンだ。
ペ・ヨンジュン主演のドラマ「冬のソナタ」(04年)の大ヒットを受け、各局が韓国ドラマを放送するようになった。その後、イケメン歌手を俳優に起用するラブコメディドラマが流行し、K‐POP人気も高まる。当初は中高年に人気の高かった韓流だが、2000年代中盤から後半にかけては親の影響で韓国ドラマを見た若い世代もファン層に加わるようになった。
ブームは経済も動かした。東京のJR新大久保駅周辺をはじめ、全国に韓流グッズを扱う店が点在するようになり、町の様相は一変する。ブームが落ち着いてきた2000年代後半からは韓国の化粧品を売る店が増えはじめ、ドラマに始まった人気は語学、料理、ファッションへと多角化していった。
韓国映画はドラマとはやや異なる道をたどった。イム・グォンテクら、特に海外で評価される社会性・芸術性の高い作品が、90年代から日本でもファンを獲得していた。しかしそれはごく一部で、日本で広く受け入れられたのは2000年公開の「シュリ」だろう。その後、00年代中盤にかけて興業的に成功を収める作品が公開されたが、今はかつての勢いは見られない。

<90年代に日本の大衆文化開放>

 日本大衆文化の開放は1998年10月、当時の金大中大統領の指示で行われた。金元大統領は「恐れることなく臨め」と指示し、政府は段階的開放方針を明らかにした。
65年以前は、日本が非儒教国であることを理由に大衆文化接触が禁止されたが、国交正常化でその禁は解かれた。しかし政治的判断で輸入と流通が許可されていなかった。
しかし韓国南部では日本のテレビやラジオ放送は視聴できる場所があるほか、雑誌やレコードも個人の持ち込みなどを介して出回っていた。アニメや漫画、キャラクターグッズなど「日本のものとは知らずに接していた」という韓国人は意外と多い。
大衆文化開放で最初にインパクトを与えたのが映画だろう。韓国で初めて公式上映された日本映画は98年公開の『HANA‐BI』(北野武監督)だが、翌99年に公開された『Love Letter』(岩井俊二監督)は社会現象に。劇中のセリフ「お元気ですか」は流行語になった。
今は日本の文学作品や漫画が韓国でも大人気だ。村上春樹の小説や「ワンピース」などの少年漫画は、発売と同時にベストセラーになるほど。大衆文化開放とは直接関係ないが、日本式の居酒屋なども韓国では若者を中心に受け入れられている。

2015-01-01 5面
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