ログイン 新規登録
最終更新日: 2017-03-29 19:50:49
Untitled Document
ホーム > 連載 > 在日の従北との闘争史
2014年07月09日 00:00
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
在日の従北との闘争史~民団結成から韓国戦争勃発まで~呉基文氏を偲んで⑨~
「朝連」の「女盟」に対抗して「婦人会」を結成

婦人会中央本部結成大会
「婦人会」と呉基文顧問
婦人会中央本部初代会長を務め、民団中央本部顧問である呉基文氏が亡くなった。
呉顧問は、49日法要が終わった後、79年前に死別した夫・裵康伊氏が眠っている韓国・天安にある「望郷の丘」に埋葬される予定だ。
民団中央の辛容祥常任顧問は「呉顧問は漢文に造詣が深く、よく漢文を引用しながら発言した。会議などでは、韓国ではなく、『大韓民国』と呼ぶべきだとよく言っていた。韓国に対して純粋に愛情がある人だった」と故人を偲んだ。
呉顧問は1946年2月、民団の前身でもある「新朝鮮建設同盟」で初代婦女部長を務め、「建同」東京西本部の財政部長にもなった。「建同」を財政的に支えた。同年10月に「民団」中央本部が結成されると、初代婦女部長に就任する。
呉顧問は「朝連」の信託統治賛成集会で一人で反対を訴えたことで有名だが、日本の植民地時代の独立烈士(尹奉吉、白貞基、李奉昌)の遺骨本国送還にも尽力した。
呉顧問は、植民地時代に女性として苦難を経験し、そういう苦難を乗り越えて、民族運動に参加した。
呉顧問は、植民地と解放・建国、そして6・25戦争の中で、在日同胞がどう生きてきたのかを回顧録で残した。呉顧問は女性の参与や協力なしには、民団の成功も期待できないと思って、在日同胞女性たちをまとめる団体として「婦人会」を結成した。
「朝連」は、1947年10月には、「朝連」婦女部を経て「在日本朝鮮民主女性同盟」(女性同盟)を結成。同年12月には機関紙「女盟時報」まで創刊発行していた。
「婦人会」は6・25戦争中に最前線まで慰問
1947年8月に婦人会東京本部が結成される。初代会長には呉顧問。細々とした出帆だった。
そして、1949年6月に民団中央本部講堂に日本全国の10都道府県から婦人代表が集まって、「在日本大韓民国婦人会中央本部」を結成した。ここでも呉顧問が初代会長になった。「家庭」「文化」「経済」の活動目標と3大綱領を打ち出した。決して大きな組織ではなかったが、間もなく勃発した6・25動乱の中で「婦人会」は活躍した。
戦争勃発直後、救援物資を集めて、釜山港に送った。戦争が高地戦になった1952年の年末には、呉会長など婦人会代表3人が最前線まで慰問品を持って行って、将兵を激励した。休戦協定後も救援活動を続けた。
「婦人会」は子供たち、特に女児たちの教育に力を注いだ。その他にも、同胞戦犯釈放運動推進、婦人職業紹介所と結婚相談所を設置した。1959年「北送事業」が始まるや、「婦人会」は「民団」とともに反対運動に献身した。1960年代に入ると、「婦人会」は韓日国交正常化に向け、日本の全日本婦人連盟と合同主催で韓日会談促進懇談会を開催し、韓日親善を強化した。
呉顧問は1967年4月までの18年間、会長として精力的に活動した。植民地下の独立運動のような献身によって、「婦人会」は「女盟」を完全に圧倒するようになる。

2014-07-09 4面
뉴스스크랩하기
在日の従北との闘争史セクション一覧へ
ソウルで太極旗集会の現場から…
「日本人漁民50人以上を殺した」
太極旗革命をもって大韓民国の未来を
親族虐殺者の部下を認めた朝総連
朴大統領 弾劾決定
ブログ記事
ブログの読者各位 『新・浦安残日録』(号外)
新・浦安残日録(3) 晩節の〝選択〟
”若い世代が統一のための体力を作る”、韓国若者たちの誓い
国会内に大韓民国の敵がいると一喝する金鎮台議員
禹鍾昌記者が憲法裁判官8人を相手に損害賠償訴訟を提起
この一冊
『婦人会画報 絆』第1巻第4号
『婦人会画報 絆』第1巻第3号
『在日本大韓民国婦人会画報』第2号
菜食主義者
中国朝鮮族を生きる 旧満州の記憶
自由統一
北の人権状況告発
韓米演習に合わせて挑発
北韓をテロ支援国再指定へ
「日本人漁民50人以上殺した」
「北の脅威を抑制」


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社概要 会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません