鄭文憲議員は、「北韓の核問題と関連し、盧大統領は『私は世界中を回りながら、北韓が核保有をしようとするのは正当な措置だという論理で北韓の代弁人の役を熱心にしているので、北韓は私を助けてくれ』と言った」と主張した。対話録を読んだある人は、「核開発を庇護したのかは記憶にないが、北韓の立場を弁護して回ったという趣旨の話をしたのは事実だ」と証言した。
盧武鉉は以前にも“友好的な"ジャーナリストたちの前で「インドの核は許されるのに、北韓の核はなぜダメなのか理解できない」という旨の発言をしたという。「北の代弁人の役」という話が出てきもおかしくない。
盧武鉉は「米国のバンコ・デルタ・アジア(BDA。マカオにある銀行)措置は、間違っていた」とも話した。北韓が偽ドル製造などの国際的犯罪を行っていることに対して米国が北の取引銀行だったBDAに対してとった金融制裁措置を誹謗したのだ。刑事が犯人の前で同僚刑事の悪口をいったようなものだ。
会談録には、盧武鉉が会談における最重要問題であったはずの北核廃棄に対し、意義ある要求をした部分がないという。特に北核問題の核心である高濃縮ウラン問題は取り上げられなかった。このような盧・金会談だったため、10・4宣言には「南と北は、韓半島の核問題の解決のために共同で努力することにした」と盛り込まれただけだった。
「韓半島の核問題」という用語は北韓式の表現だ。問題となったのは「北」の核であって「韓半島の核」ではない。北のいう「韓半島の核問題」は、米国が韓半島に核を持ち込んだり、保有をしてはならないという主張をするために作った用語だ。韓国に対する米国の核の傘提供に文句をつけるための用語の混乱戦術に、盧武鉉は同調したわけだ。
盧武鉉は金正日に「ブッシュ大統領と金正日総書記、そして私の3人が終戦宣言のための会談をして平和協定を結びましょう」という要旨の発言もした。米国は、北側が核開発を放棄した後でなければ平和協定など結べないという態度を明確にしていたのに、盧武鉉は北核廃棄を要求せず終戦宣言と平和協定を持ち出したのだ。
金正日はこれに関心を示す。彼は核兵器を保有したまま、平和協定を通じて韓米同盟解体と在韓米軍撤収という宿願を達成できるかもしれないと思ったはずだ。
盧武鉉は金正日にこういう要旨の話もした。
「委員長はお前らが何をしているのかと仰いますが、我々も頑張っています。在韓米軍が首都圏から移転することになっており、戦時作戦権も米国から返還するようになっています。最近の世論調査によれば、我々(韓国)の安保に最も脅威的な国として米国が指目され、二番目が日本、三番目が北韓です。10年前は想像もできなかったことです。これは自主外交と民族共助を熱心にやった結果です」
盧武鉉はさらに、「このように変わったのは、自主外交と民族共助を根気強く推進した結果です」という趣旨の解説も付け加えた。彼は、「それでも米国は世界最強国であるので、私は時には親米にならざるをえない」などと言い放った。反米が当然であるが、仕方なく親米的にもならなければならないというニュアンスだ。
06年、“友好的な"新聞社の幹部らと会った際も盧武鉉大統領は、韓米FTAの推進過程を説明しながら、「『人々は私を親米派と呼ぶだろう』と冗談を飛ばした」という。彼は左派メディアや金正日など“理念的同志"の前では、親米的な政策をとったことについて、罪でも犯したかのように申し訳なさそうにしていたようだ。 |