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2012年08月03日 01:48
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光州事態‘謀略の極致’-‘全南道庁前の発砲事件”

池萬元

1980年5月21日午後1時頃発生した全南道庁前の事件は、反乱者たちが国民を欺瞞するために悪用した最も良い素材だった。‘全南道
庁前の事件’は、映画‘派手な休暇’(2007年)が‘幻覚剤を強い酒に入れて飲んだ空輸部隊の蛮行’を最もドラマチックに表現したクライマックスであり、平壌の金日成が直接黄晳暎尹伊桑(*右写真は金日成と尹伊桑)を連れてきて作った映画‘君のための交響詩’(1991年)が最も劇的に浮き彫りにしたほど南北韓の赤たちが共同で企てた謀略の素材だった。
1990年代‘民主化’や‘主思派運動圏’というレッテルがついた人々なら目の色が変わったほど韓国のほぼすべての媒体が平壌の労働党出版社らが出した対南工作の歴史書ら(‘光州の憤怒’、‘主体の旗幟に従って進む南朝鮮人民の闘争’)が広めた謀略内容を先を争って伝播した。
この媒体らがこういう行動をした理由は、1985年黄晳暎(*左写真で金日成の右が黄晳暎)が書いた“光州5月民衆抗争の記録”(別名‘死を越えて時代の闇を越え’)という本が平壌の本をそのまま写したためだ。南・北韓の反乱者たちが‘空輸部隊の蛮行’を最も劇的に描写した舞台が道庁前広場だったし、そういう赤たちの主張によれば全南道庁前広場はそれこそ幻覚剤を飲んで獣のように暴れた空輸部隊員が行った“殺戮の現場”だった。
今でも多くの国民は映画とメディアが伝えた謀略内容らを5.18光州事態の真実だと思っている。だが、下の捜査記録を見れば南北韓の反乱者らがどれほど真実を歪曲し誇張、拡大して小説を書いたのかが明らかになる。下の内容は全斗煥などいわゆる‘新軍部’を刑務所に送るのに決定的な根拠となった1995年当時の検察の捜査記録だ。
5月21日、光州一帯で発生した民間死亡者は61人だ。この中で28人は全南道庁から距離の遠い所で死亡し、33人だけが全南道庁の前で死亡した。ところが、全南道庁前の死亡者33人中20人は刃物に刺され棒で殴られて死亡した人々だ。しかし、当時道庁前の状況は、戒厳軍と市民が数十メートルの距離をおいて対峙していた状況だったため、空輸部隊に殴られて刺されて死ぬことがあり得なかった。ではこの20人は誰が殺したのか? さらに13人が銃傷によって死亡したと記録されている。銃傷の13人中9人が(*予備軍用の)カービン銃によって死亡し、4人は銃器不詳と記録されている。一言で、5月21日に刃物に刺され棒で殴られ銃で死亡した61人全員が戒厳軍とは関係のない死亡だったわけだ
それでは全南道庁の前で戒厳軍は射撃をしなかったのか? 射撃をした。だが、連続的に突進してくる装甲車に対してだけ集中射撃をした。
反乱者側は、5月21日の13:30分頃に全南道庁の前で軍による集団発砲があったためこれに対する正当防衛として武器を奪取して戒厳軍に向かって発砲したと抗弁する。
だが、これは真っ赤な嘘だ。アジア自動車工場に集結した北韓特殊軍600人(定着中のスパイ+南派部隊)が武器庫を襲いに出発した時点がまさに5月21日の朝9時だった。そして、捜査記録を見ると全南道庁前の発砲は、5月19日の最初の発砲から9回目に発生した自衛用の発砲だった。
その以前の発砲は反乱者たちが大型バスで集結している空輸部隊に向かって全速力にジグザグで突進してくる瞬間死を目前にした指揮官たちが発砲し、少数の空輸部隊が数万の暴徒に包囲されて逃走路を確保するために撃った空砲だった。この過程で‘市民軍’も1回発砲した。5月21日以前にすでに示威隊には26挺のカービン小銃と7挺以上のM-16があった。
捜査記録に出ている1980年5月光州事態の発砲の歴史を見よう。
1回目の発砲は、5月19日の午後5時、戒厳軍将校が乗っていた装甲車が孤立するや示威隊が装甲車の蓋を開けて火がついたわら束を中に入れようとした時発生し、
2回目の発砲は、20日の夜、空輸部隊の隊列に向かって高速で突進してくる大型車のタイヤに大隊長たちが拳銃を撃ったことで、
3回目の発砲は、同日光州駅に衆寡敵せずで完全包囲されていた3旅団が包囲網を突破するためには実弾が必要だったが、彼らに実弾を補給するために全南大に駐留した3空輸旅団の本部隊員が光州駅から接近する過程で多数の群衆に包囲されるや道を開くために空砲を撃ったことで、
4回目の発砲は、光州駅前で3空輸旅団の4個大隊が包囲網を突破して全南大へと撤収する時発生し、
5回目の発砲は、5月21日の明け方5時頃全南大で示威隊が空に向かってカービン銃で空砲を撃ったことで、
6回目の発砲は、5月21日の12時頃に武装示威隊が光州刑務所を攻撃して発生した双方の銃撃戦で、
7回目の発砲は、全南大を守備していた3空輸旅団の最後阻止線が突破されて空輸部隊と示威隊の間で交わされた射撃で、
8回目の発砲は、全南道庁前で装甲車の射手が機関銃を点検する過程でミスで引き金を触って空へ向けて撃った射撃だった。
最も問題にしてきた5月21日の13時の全南道庁発砲は9回目の発砲だった。5月21日の13時頃、示威群衆が搭乗した装甲車、大型トラックなど数十台の車両が10万群衆の前面に出ては一台の装甲車が全南道庁前に整列していた11旅団に向かって突進して下士官1人(チョン・グァンチョル中士)を轢いて殺し、1人が重傷を負った。この車両攻撃がその後三回も続いた。
同僚の無惨な死を見た兵士たちはそれこそ生きたいという一念で突進車両に向かって威嚇射撃を加えた。これがいわゆる全南道庁前の発砲のすべてだ。戒厳軍は、全南道庁前に整列している空輸部隊に向かって大量虐殺を試みた4回にわたる装甲車攻撃を避けるために専ら装甲車だけに向かって射撃を加えたのだ。装甲車がどういう物なのか? このように無数の実弾を発射してもびくともしないのが装甲車ではないか?
この他にも、5月20日の夜中から5月21日の午後5時、3空輸旅団が全南大を脱出し始めるまで全南大では双方間無数の銃撃があった。午後5時はすべての空輸部隊が光州市を脱出し始めた時刻だ。空輸部隊が全南道庁と全南大を脱出して光州市の外郭に後退する時脱走路のあちこちで待ち構えていた武装暴徒が戒厳軍と無数の接戦を行った。双方交戦だったのだ。以上が全南道庁前事件の真実だ。
全南道庁の前で全斗煥の命令で一斉に集団発砲したという彼らの主張も嘘で、集団発砲によって数百人が死んだという彼らの主張も嘘で、非武装で愛国歌を歌っている光州市民に空輸部隊が突然集団射撃を加えたというのも嘘で、戒厳軍が13:00時から空輸部隊が一方的に市民に向かって集団発砲をしたため暴徒が武器庫を襲う決心をしたというのも嘘だ。
反乱者らは答えなければならない。5月21日に全南道庁から遠い所で死亡した28人は誰が殺したのか、全南道庁前で刺傷によって死亡した20人は誰が殺したのか、全南道庁前で予備軍の武器庫の銃によって射殺された13人は誰が殺したのか? (*右写真は暴徒たち)
誠に皮肉にも、反乱者たちや北韓映画、韓国映画、そして多くのメディアを通じて戒厳軍が全南道庁の前に集結した十万群衆に向かって集団発砲をしてまるで鎌で草が倒れるように数百人の市民を虐殺したと主張するその全南道庁前の事件で、戒厳軍はただの1人の光州市民も殺さなかった。
南・北韓の反乱者たちが最も精魂を込めて謀略した全南道庁前の事件はこの文で嘘の基礎が崩れる。
http://systemclub.co.kr  2012.08.01 15:59

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記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
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