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2011年12月05日 04:44
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「自由の防波堤から自由の波に」
「洛東江防御戦の英雄」ウォーカー将軍61周忌追悼式での趙甲済の追悼辞。
趙甲済
*今日(12月2日)午前、米8軍の龍山基地で「洛東江防御戦の英雄」ウォーカー(Walton H. Walker)将軍61周忌追悼式が開かれた。以下は筆者の追悼辞だ。
私たちは今日「洛東江防御戦の英雄」として韓国人の心の中に永遠に生きているウォーカー将軍逝去61周年を記念するためここに集りました。ウォーカー将軍と韓国戦に参戦した米軍たちは、ワシントンの韓国戦記念物に刻まれた文章の通り、「知らない国の、会ったこともない人々を護るために祖国の呼びに応じた」英雄たちでした。
中共軍の不法南侵で韓国が再び死活の危機に追込まれた1950年12月23日、ウォーカー8軍司令官がジープに乗って息子のサム・ウォーカー大尉が務めていた部隊へ行く途中、韓国軍のトラックに衝突されて亡くなられたことは真に悲痛で申し訳ないことでした。ウォーカー将軍こそ、「知りもしなかった国の、会ったこともない人々を護るために」自分の尊い命を捧げた方になりました。使徒パウロは、ガラテヤ書の5章14節で、「律法全体は、隣人を自分のように愛しなさいという一句によって全うされるからです」と話されました。私たちは隣人を愛することを実践した数多くの英雄たちの犠牲と勇気を忘れることができません。米軍は延べ150万人が参戦し、その10%の15万人が死傷しました。
命を捧げた方々の中にはウォーカー中将の他にも、24師団の連隊長だったマーティン大佐がいます。彼は天安で直接バズーカ砲を持って北傀軍の戦車と対決して敵戦車が撃った直射砲で戦死しました。24師団長のディーン少将は、大田防御戦闘を指揮中、部隊が敗退し落伍して北傀軍の捕虜になりました。9軍団長のムーア少将は、1951年初の反撃作戦中乗っていたヘリコプターが高圧線にかかって墜落して後遺症で逝去しました。
バン・フリーと(James Award Van Fleet)8軍司令官の息子は操縦士でしたが、北韓地域を爆撃中失踪して戦死となりました。米CIA部長の息子はプリンストン大学在学中海兵隊に支援し韓国戦線で頭に銃傷を負いました。ハーバード大学卒業生17人が韓国戦線で戦死しました。休戦協定に署名した国連軍司令官のクラーク(Mark W. Clark)将軍の息子は2師団所属の中隊長として「断腸の稜線」戦闘で重傷を負って本国に後送されましたがこれが3度目の負傷でした。韓国戦に参戦した米軍将軍たちの息子たちは142人でした。アイゼンハワー大統領の息子も参戦しました。彼らの中で戦死・負傷した人は25%の35人でした。一般兵士たちの戦死傷率より二倍も高かったのは、彼らが危険な第一線勤務を志願したケースが多かったためでした。
ウォーカー中将など数多くの米軍が流した血や捧げた命を踏んで不死鳥のように立ち上がった韓国人は、国家を護り抜き真実、正義、自由が花を咲かせる民主主義と市場経済を建設しました。直ぐにも滅びそうだった国が起死回生して繁栄するようになった土台は、ウォーカー将軍と彼の戦友たちが流した血でした。彼らの犠牲を媒介として韓国と米国は同盟国になりました。この同盟によって米国は米国に韓国を加えたほど強くなり、韓国は韓国に米国を加えたほど強くなりました。
韓国は長い間「自由の防波堤」と呼ばれてきましたが、今は「自由の波」になって平壌をさらって独裁者を倒し、北韓の奴隷たちを解放するほどの力を整えました。韓国と米国は韓半島においてのビジョンを共有していますが、それは「自由で繁栄し統一されて強力な大韓民国」である筈です。
1950年6月24日(米国時間)の夕方、故郷のミズーリ州のインディペンデンスにいたトルーマン大統領は、ディーン・アチソン国務長官から南侵の報告を受けるやこう言ったそうです。
「われわれは如何なる手段を動員してでもその犬野郎らを止めねばなりません。」(We have got to stop the sons of bitches no matter what.)
この一言が韓国人を救いました。韓国の歴史上、民族全体の運命が一人の外国人によって決定された最初の事例でした。トルーマン大統領の派兵決定によってウォーカー中将が韓国に来て、その後韓半島で起きた出来事は20世紀の最も感動的な逆転のドラマでした。今年国連開発機構(UNDP)が発表した世界180余ヶ国の「暮しの質」のランキングによれば韓国は15位でした。ウォーカー中将などの米国の英雄たちが護った自由と平和が生み出した奇跡です。
ウォーカー中将を追慕する今日は、したがって悲しみの日でなく喜びの日、勝利の日、誓いの日であります。61年前の一人の英雄の死を永遠に記憶する道は、生き残った人々の義務として韓半島に自由と平和の根をおろすことです。そして奴隷よりもっと悲惨な生を生きている北韓の人々もわれわれのような自由人になる日、私たちはまた集まってウォーカー中将の霊前に誇らしい報告を上げるはずです。ウォーカー中将の子孫たちに神様の加護を祈ります。
御清聴ありがとうございます。
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記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
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