金泌材
金日成から誕生日の御膳まで貰った親北音楽家・尹伊桑を記念する「尹伊桑平和財団」(理事長申渓輪)の役員や代表発起人には洪錫炫中央日報会長をはじめ、李明博大統領が含まれている。
尹伊桑は現在北韓に抑留されている「統営の娘」申淑子(69才)氏と二人の娘の恵媛と圭媛の入北を斡旋した人物で、1967年の「東ベルリン事件」と1992年の「呉吉男スパイ事件」でその実体が確認された。
朴元淳ソウル市長は、2010年10月16日まで財団ホームページに尹汀(尹伊桑の娘)、洪錫炫中央日報会長、元喜龍-鄭泰根ハンナラ党議員など総16人の理事の1人として登載されていた。だが、今日(11月1日)、趙甲済ドットコムが確認結果、朴ソウル市長と洪錫炫会長をはじめ16人の理事の中で8人の理事が財団ホームページから削除されていた。
現在、財団ホームページに登載された8人の理事は、尹汀、高喜範前ハンギョレ新聞社社長、元喜龍-鄭泰根ハンナラ党議員、金旻ソウル音大の元学長、李サンウク・リタ産業代表、張ドンイク韓国青少年文化教育開発院院長、卓ムクォン・ハンギョレ文庫代表理事などだ。これに関して、財団関係者は11月1日、趙甲済ドットコムとの電話インタビューで、「財団の理事職は任期が2年で朴元淳市長をはじめ多数の方々が今年4月の任期満了で理事職を辞めた」と言った。
他にも「尹伊桑平和財団」の代表発起人には大物の人々が多い。
李明博大統領をはじめ、パルチザンの息子・権永吉民主労働党議員、洪錫炫中央日報会長、玄貞恩現代グループ会長、金槿泰ヨルリンウリ党元議長、孫鶴圭民主党代表、文喜相民主党議員、兪弘濬元文化財庁長、李富栄民主平和福祉フォーラム代表、鄭東泳民主党最高委員など総31人が財団の代表発起人としてホームページに登載されている。
この財団代表発起人の中で金槿泰、兪弘濬、孫鶴圭、鄭東泳は朴元淳ソウル市長の当選のため選挙キャンプで各々顧問、メンター団、共同選対委員長(孫鶴圭、鄭東泳)として活動した。
財団関係者は、趙甲済ドットコムとの電話インタビューで、「代表発起人の場合、一度登載されれば勝手に名簿から削除などができない」と言った。発起人の辞典的定義は、先頭に立ってある活動を企て起こしたりその方案を用意する人で、法律(商法)では株式会社の設立を企画し定款に署名した人を意味する。
[参考資料]呉吉男スパイ事件
呉博士はソウル大独文科を卒業して1970年ドイツに留学した。妻の申淑子氏は慶南統営出身の派独看護師で、留学生だった呉吉男と結婚した。夫婦は1976年生まれの恵媛と1979年生まれの圭媛の二人の娘をおいた。
呉博士は1974年宋斗律などと一緒に民主社会建設協議会を作って反政府活動を始め、1980年全斗煥大統領執権以後ドイツ現地で政治的亡命をした。
呉吉男氏が1985年ブレーメン大学で経済学博士学位を取得した後、作曲家の尹伊桑などから「北韓へ行って経済発展に努力して欲しい」という勧誘を受けて1985年12月家族と共に北に行っ他が、労働党の工作機関である「救国の声」放送の対南放送要員にされた。
呉博士は1986年11月ヨーロッパの南韓留学生2人を誘引して連れてこいとの指令を受けてデンマークに行った時コペンハーゲン空港で劇的に脱出した。以後ドイツに滞在しながら家族救出運動をしたが失敗し、1992年5月韓国に帰国した。
呉博士は1993年「金日成主席よ、私の妻と娘を返してくれ」という本を出した。この本は北韓人権運動家の金美英氏によって2011年6月再出版された。
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