趙甲済 60年前の今月、数百万人の避難民が北韓の故郷とソウルを捨てて凍りついた漢江を渡って南へ押寄せて行った。離散家族の悲劇がこの時に始まった。韓国人は足で投票した。勝っている共産軍(中共軍と北韓軍)から逃れて、負けている国軍と米軍を選択した。自由への脱出だった。 米軍は長津湖で中共軍の包囲網から脱出しながら、興南港で韓国民間人10万人を救助して海軍艦艇に乗せて南下した。救助された韓国人の中には、世界最大の帽子会社である永安帽子の白聖鶴会長のように成功した人々が多い。 自分が危険に直面しているのに人の世話をするのは容易なことでない。使徒パウロは、ガラテヤの信徒への手紙で、律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされる、と言った。米軍は巨大な規模でこういう愛を実践した。 ばか真面目な米軍は、だが韓国人たちにその恩恵を忘れるなという言葉も言わない。有り難みを忘れてはならない義務はわれわれにある。有り難みが分からない人間や組織が成功したという話を聞いたことが無いから。 |