柳根一
新年の主題? 毎年大層な言葉で始めるが、よい祈願が現実性のあるものではなかった。特に、対北政策の「新しい」云々は、結局は全てどうしようもなかった。ブッシュもオバマも同じだった。これは何を意味するか? われわれがいくら「新しい何か」を模索しても、韓半島問題と南北関係に限っては、われわれは半世紀が過ぎても李承晩と朴正煕の時代からそれほど遠く離れられなかったということを反映する。国際政治環境は、もちろん李承晩と朴正煕の時に比べて著しく変わり、それに対する私たちの対応も変わるしかない。しかし、金正日対策は「新しいもの」と言っても本質的には効いたものがなかった。
われわれが、あらゆる新しいアイディアや新しい接近法を試みても金正日は微動だにしなかった。微動どころか、彼は自らの本来の立場をもっと強化しただけだ。それではどうすべきか? 公共政策を扱う人たちは簡単に受容れ難いというだろうが、金正日に対処する方法は、李承晩と朴正煕時代のように、大韓民国を確固と、決然と、強く護ること外には他の特別にこれと言った方法がなかったということ-それでその「新しい試みがどうしようも無かったこと」を今は受容れるしかないようだ。
李承晩と朴正煕が、頭が悪くアイディアが乏しかったため金日成と金正日を馴致できなかっただろうか? 彼らはその「どうしようもないこと」を逸早く看破したため、最も避けられない必須の基本線を死力をつくして護ってきたと見なければならない。二人の基本線は、もちろん21世紀の現実に合わせて変容できる。だが、基本線は基本線だ。いくらやって見ても駄目だから、当初の本質的な基本線へ回帰するしか外にどういう手段があるのか?
中国とロシアの理解を何とかして得ようとする努力そのものは良い。しかし、金正日に関する限り、駄目なことは駄目なのだ。それで仕方なく国防力、抑止力、膺懲力を最大限確保し、われわれの内部を大韓民国勢力が確固と掌握すること、そして北韓住民の歓心を買うこと-という建国以来の基本線へわれわれはこの辺で戻る時ではないだろうか?
考えて見るとあまりにも単純明快な当為だ。常識的なことでもある。だが、われわれはその間常識を無視しあまりのも衒学的なアイディア過剰に陥ってきたのかも知れない。あらゆることが結果的にはどうしようもなかった。殺すと襲い掛って来る相手に死なないため必死に対応すること-この外にどういう方法があるのか? 新年に確かめればと思う最も確実な「安保」であると信じる。
柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2010-12-30 12:53 |