趙甲済 クリントン元大統領は、昨年9月17日の夜(現地時間)、米ケーブル放送の「コメディー・セントラル」の政治風刺コメディー番組の「デーリーショー」に出演して訪北秘話を打ち明けた。 「私は笑うことも、しかめることもしないことにした。がらんとした人のように行動することにした。俳優のピアース・ブロスナンが主役を演じた映画・「007オナドデイ」で北韓人が二度の整形手術を受けてイギリスの王のように出たが、(私が)後続作品のオーディションを受けたわけだ。私は、北韓側が私に訪問してほしいと言った後女性記者の家族らの要請によって人道主義的な訪問をした。北韓に侮辱は与えないながらも、だからと言って若い女性たちが単に川を渡ったという理由で12年刑を宣告されたのが当然だと見られないように、威厳のある方法で仕事をしようとしたのが私の行動要領だった。」 クリントン元大統領は、在任中元大統領のカーターが北韓を訪問し、金日成と概念なしで接触したことに対して怒ったという。クリントンはそのような失敗を犯さないためカーターとは反対に行動したというのが側近たちの証言だった。 金大中と盧武鉉大統領(当時)が金正日と会った時示した行動は、カーターに近い。韓民族に拭えない民族反逆的犯罪集団の首魁と会うという歴史的意味を忘却し、希代の虐殺者と交わりながら幸せな格好を見せたため、反共自由民主主義に立った国民教育はその瞬間崩れたのだ。 元米大統領カーターが、また、抑留された米国人に会いに北韓に行くという。彼は1994年金日成に会って金泳三大統領との会談を斡旋したことで(金日成死亡で実現しなかった)、対北封鎖網に穴をあけた。彼は1977年に就任するやすぐ朴正煕の人権弾圧(*)を批判しながら懲罰的次元で駐韓米軍の撤収を推進したが、内外の反対で放棄したことがある。彼が韓半島と関連した役割をする時はいつも韓国に損害を与えた。韓国人の立場ではちょっとひどく言えば「縁起の悪い人間」だ。人権を大事にするという彼は、それでノーベル平和賞も貰った彼は、北韓の人権弾圧問題に対して意味のある発言をしたことがない。彼も、<残忍な者を同情する者は、同情を受けねばならない人々に残忍だ>(タルムード)という部類の人間であろう。 オバマ政府と李明博政府の対北政策の基調を見ると、カーターが割り込む余地はないようだが、金正日政権はカーターの親北性向と偽善性、そして言論の健忘症を巧みに利用して、対北封鎖網に穴をあけようとする贋平和攻勢を試みるはずだ。韓国の親北勢力や野党、そしてまぬけな言論がこれに迎合するかも知れない。国民はカーターの動向に対して数日間鋭意注視する必要がある。 *1977年5月22日、朴正煕大統領は秘書陣と食事をしながら駐韓米軍を撤収するというカーターを批判した。 <<韓国にどういう人権問題があるのか、とアメリカ人たちに具体的に尋ねると、彼らも答えられません。人権侵害というのは法によらず裁判もせず弾圧することをいうものであって、憲法によって3審を経て、それも公開的に外国記者らにまで傍聴させながら、法を以て確定して処罰するのをどうして人権侵害といえるのかということです。 先日、ウルフ議員も、スナイダー大使も、「カーターが言ったことだから、アメリカの面子に配慮してジェスチャーでもやって欲しい」と私に話したが、私にジェスチャーができるのがあってこそやれるではないか。今服役中の人も、前の民青学連事件のように悔い改めて良い人間になれば、赦免もできるということですよ。 反体制の人々の鼻を高くさせるのは正にアメリカ人たちの所為だ。米国が役に立たないと感じる時こそ服役中の人々も考えが変わるはずで、そうなると釈放もできる。この機会にそういう人々の事大根性を根絶せねばなりません。外勢に依存する根性を捨てなくては真の自主独立の国民と言えません。 今までアメリカで反政府運動をした人々、李龍雲元海軍参謀総長や文明子氏などが言った根拠のない話を米国はそのまま言論に掲載したよ。駐韓米軍が東北亜の平和のため至大な貢献をしたのは事実です。まだ韓半島に平和が定着したのではありません。 韓国に平和が定着するか少なくとも北傀を確実に凌駕する力ができるまで、駐韓米軍があった方が良い。ところが、彼らが一方的に撤退するといいました。韓半島の安保は韓国だけの責任なのか? 韓・米両国の共同責任です。彼らが撤退しても、装備を(われわれに)引渡し、空軍力さえ増強すれば、有事の際にわれわれの力だけでも十分に敵を防げます。 私はベトナム事態の時すでに駐韓米軍の撤収を予想しました。あらゆる情勢から見て、北傀が南侵しても中国やソ連が兵力支援をしないと見ます。われわれの力が強くなれば、かえって中国・ソ連が北傀の南侵を牽制するはずです。これが正に共産党の戦術である。来年フランスから装甲車150台を導入し、秋には西海でミサイル試験発射もします。今回ハビブ米国務次官が来ると核を持っていくと脅すでしょうが撤収するなら持っていけ。彼らが撤収したら、われわれは核を開発するつもりです。>> 理念に無知だったカーターの馬鹿な真似 李明博大統領は、レーガン大統領の役割をせねばならない歴史の舞台で、カーター役をやっているのでないかと自身を振り返らねばならない。 [趙甲済、2008-03-02,22:50] 国際共産主義との対決で自由陣営が勝利するよう基礎を築いたアメリカのトルーマン大統領と、その戦いを仕上げたレーガン大統領は、共産主義を悪と見た理念型の指導者だった。 同盟国の人権問題は攻撃しながら、それよりもっと酷い独裁体制の人権弾圧に対しては沈黙したカーターは、理念の重要性が分からない偽善者であった。カーター大統領は、虐殺者の金日成に対しては好感を示しながら朴正熙大統領に対しては好感を持たなかった。彼は、朴大統領の「人権弾圧」に抗議すると言い駐韓米軍の撤収計画を強行したが軍部と行政府内の反発で中断した。朴正熙に対する彼の圧迫が「10.26事件」(*朴大統領暗殺事件)の一つの遠因となった。 彼は、ホメイニの全体主義的抑圧に比べると穏健だったイランのパーレビ王が、イスラム原理主義者らの攻撃で苦境に立たされた時、パーレビを圧迫し続けてパーレビが倒れるのに一役を買った。同盟国の指導者を捨てた彼は、ホメイニから感謝の表示どころか52人の大使館職員がイランに人質として抑留される事態に遭った。彼らを救助すると出動したアメリカの特攻隊は、離陸すらできず挫折した。これが1980年の大統領選挙で彼を落選させた。同盟国を裏切った悪業の報いだった。カーターの馬鹿な真似はここで終わらなかった。 彼の同盟国への圧迫政策は、金日成・金正日と1,2位を争うジンバブエの独裁者・ムガベが執権する道を開き、ニカラグアでサンディニスト共産政権が執権する道も開いた。 彼の馬鹿な真似は、大統領職から退いた以後も続いた。1994年米国が核兵器を開発中の北韓政権に対する封鎖を準備している時、カーターが突然平壌を訪問して金日成と大同江で船遊びをやっては「金泳三-金日成会談」のカードを作って窮地に追込まれた北韓政権を救った。この会談局面は1994年の「ジュネーブ合意」に繋がれたが、北韓政権はこの合意を紙切れにして「第2次核危機」を起こした。カーターは、韓国人に何の恨みがあったのか、駐韓米軍撤収計画と金日成の肩を持つことで、2度もわれわれを苦しめた。 韓国の一部の「民主化勢力」は、こういうカーターを高く評価する。指導者が理念、つまり共同体の利害関係に対する自覚がまともにできないと、国益を亡ぼし、自身を亡ぼし、どれほど滑稽なことをやるようになるのかをカーターがよく見せている。李明博大統領は、レーガン大統領の役割をせねばならない歴史の舞台で、カーター役をやっているのでないかと自身を顧みねばならない。 *写真(上から):クリントン元大統領の平壌訪問(2009年)、カーターと金永南(2010年8月)、遊覧船で暴君金日成と交わるカーター。 |