張真晟(脱北詩人、「私の娘を100ウォンで売ります」の著者)
法というものは小さな蠅だけがかかるクモの巣という話がある。ところが北韓にはこういうクモの巣法すら無い。ただ金正日神格化法だけがあり、その定規で表彰もし、「3代滅族」もする国だ。こういう非論理的な神格化法が治める一人体制のため、北韓には最小限の人権を主張できる法的保護が全くない。
さらに北韓という国は、金正日の唯一統治のため特権層の特権も承継される完璧な世襲構造を持っている。それで、300万を飢えさせ殺しても金正日は全く自己責任を感じないように、その下の幹部らも権力絶対意識であらゆる蛮行を日常行う。何より、北韓特権層の専横は金正日の神格化を背景にして恣行される。
黄海北道の前道党責任秘書だった崔・ムンドクは、道党の「忠誠の外貨稼ぎ課」の課長が自分の外貨横領事実を中央党に報告した事実を知り、課長と家族を政治犯収容所へ送った。彼の罪とは同僚らと一緒に写真を撮りながら「1号写真を撮ろう」と言ったことだった。「1号写真」とは金正日と一緒に撮る写真を意味するのに、その神聖な「1号」の呼称を盗用したということだ。
金日成社会主義青年同盟傘下の銀星貿易管理局長の李炳徐も可哀相に粛清された。崔龍海委員長と親しくする彼を注目した党組織部第1副部長の李済剛は、李炳徐が中国貿易会社の人々と対話で中国の開放を羨む発言をしたとして開放主義者に追い立てて処刑した。崔龍海が解任される前だったため、金正日に善処をお願いする提案書も準備したが、すでに(処刑の)批准が終わったためそのまま処刑されてしまった。
人民武力部の後方総局傘下「鳳仙花合営会社」社長だった在日同胞出身の崔・シュクレンも同じだった。金正日に216個の日本製電気裁縫機を忠誠の贈り物として捧げ、人民武力部後方総局被服局所属で「鳳仙花合営会社を」設立したが、総政治局の幹部らに憎まれて武力部の保衛司令部に連行され、6ヶ月後に自殺と処理されてしまった。逮捕された時彼を信任した後方総局長の呉・リョンバンが直接乗り出して崔・シュクレンを社長に批准した金正日の決済サインを見せながら止めようとしたが、その日付より後にサインされた同じ筆跡の前で口を閉じるしかなかった。
北韓の裁判システムにはそもそも弁護士選任制度すらない。人民陪審員制度があるものの、彼らは被告でなく共和国を守る検察の方に立たねばならない野次馬らに過ぎない。公開裁判では反金正日発言が出るのを恐れて、死を迎えるすべての死刑囚の口を塞ぐ。もし、北韓でも弁護士制度というのがあれば、どうせ死ぬ命とは言っても悔しさや無実を訴え静かに目を閉じただろう。
1999年頃、平壌市万景台区域保安所が八骨市場で公開処刑を行った。当時杭に縛られた人の罪名はポルノを製作して市場に売ったということだ。平壌市で「ドンヒ事件」を知らない人がないほど有名な公開処刑だった。だが、金・ドンヒの本当の罪は単純な不法外貨稼ぎで、予審の過程で人民武力部保衛司令官の元應熙に米貨10万ドルを現金で渡したと口外したことだった。
金正日から絶対的に信任される元應熙の権力を意識した保安省の予審員はこの事実を保衛司令官に報告し、金・ドンヒは資本主義の黄色分子として処刑された。金・ドンヒと一緒に収監されていた収監者らの耳打ちを通じてこの噂が広がるや、武力部の保衛司令部と葛藤関係だった国家保衛部が金・ドンヒ担当の予審員を調査して金正日に結果を報告した。元應熙は殺人罪でなく党を騙した欺瞞罪でしばらく職務停止の処罰を受けたが、私が脱北した後、韓国言論を通じて死亡したと伝えられた。
無法地帯でも言論の自由さえあれば一般住民たちは訴える機会でもあろうが、北のすべての新聞などは党の宣伝扇動機構だ。こういう国だから北韓住民の人権とはただ沈黙のみだ。金正日から「私の鄭夏哲」と言われた党幹部がいた。彼は金日成総合大学を卒業して労働新聞社の記者、部長、主筆、朝鮮テレビジョン総局総局長、朝鮮中央放送委員会の委員長を経て1998年、党宣伝扇動部長兼宣伝秘書に任命された。
党の宣伝部は、元々組織部、統一戦線部、国家保衛部とともに金正日が直接掌る部署だから、部長職が空席だった。映画予算を横領した罪で労働党宣伝煽動部の第1副部長兼映画担当副部長だった崔益圭が解任されるや、金正日は鄭夏哲に全ての宣伝権力を与えたのだ。鄭夏哲は朝鮮中央テレビジョン総局に入社したばかりの新米のアナウンサーを国家放送員に任命し、ニュースチャンネルを専担させた。
彼女がまさに現在北韓TVの女アナウンサーである海州出身のリュ・ジョンオクだ。党宣伝部は伝統的にアナウンサーたちを国家の声、平壌の顔として重要視する。類例のない人事だったので中央テレビ総局報道局と放送局の何人かが鄭夏哲とリュ・ジョンオクの不倫を党組織部に申告した。ところが、金正日はこの報告を受けてむしろ申告した人々を放送委員会から追出し、最もきつい炭鉱へ送れと指示した。
事実を伝えるべき記者すらこのようになす術も無くやられるしかないのが偽りの国・北韓なのだ。鄭夏哲はその後政治犯収容所に送られた。金正日は癌に罹った高英姫に対する同情や懺悔でしばしば口にしただけなのに、これを後継への信号と間違って解釈して、2002年から高英姫偶像化および後継者宣伝を行ったのが罪になったのだ。最近、金・ジョンウンを指すといわれる「足取り」という歌もこの時出た曲だ。
ものを言う自由すらないなら代わりに恵沢でも与えられるべきなのに、北韓は保険もない国だ。医療保険は形だけの無償治療で、仮に車の事故で人命被害が出ても合意処理がやっとだ。
その合意というのも元々貧しい国だから、葬式に必要な豚肉やとお米を少々与えるのが普通の慣行だ。「死んだ人は死んだ人で、生きた人は生きて行かねばならないではないか」という温情主義や権力への遠慮が作用した北韓だけの事故処理の伝統である。
だが、幹部やその家族が事故に遭った時は別だ。運転者が3年~5年間監獄へ行くのはもちろん、そういう場合原則的に適用される解任、追放、人事の制限などあらゆる不利益を受ける。甚だしくは法規も変わる。金正日は1996年、女性が自転車に乗るのを全国的に一切禁止させるよう指示した。交通手段が不足するため一般住民にとって自転車はまさに生存手段でもある。韓国の言論は女性がスカートを着て乗るためだったといったが実際は他の理由だった。
党作戦部長の呉克烈の長女の呉・ヘオクが自転車に乗って行く途中軍トラックに轢かれて死亡したのがその契機だった。葬儀場を訪ねて呉克烈を慰めた金正日は、油が不足した状況なのにトラックは一切平壌市の中心道路を通らないように人民保安省に通行制限を指示した。また、女性の自転車使用も禁止し、厳しく取り締まるようにした。それでこの事実を知っている平壌市の富裕層の女性たちは自分たちが自転車に乗れないのは呉克烈一家のためだと嘆く。
今日をもって、北韓特権層に対する私の連載は終わるが、今も北韓では途方もない貧富の格差が続いているはずだ。断言するが、私が2004年まで経験した北韓はすでに金正日の国でない。金正日は「唯一体制」と主張するが、彼の「唯一性」はリーダーシップでない強制であり、権力階層もこの無理押しの終わりをよく分かっている。もしかしたら北韓政権の崩壊の可能性を誰よりよく知っている彼らだから、強い権力欲や執着で既得権にこだわっているのかも知れない。
政権の主導勢力として今まで住民に荒唐な神格化を注入させた彼らこそ現実主義者たちであり、だから金正日が急死する場合一番早く体制を離脱するだろう。市場に適応した住民たちももう金正日を神と思わないため時間が経つほど神格化システムに対する拒否感は大きくなる。
今北韓政権の最大の弱点は、一番目が幹部の高齢化であり、二番目が権力社会の中でも政策決定階層と実務階層との乖離が大きいことだ。これは信頼の差別化で忠誠を誘導する金正日独特の権力スタイルが生んだ体制の弱点でもある。その権力の仕切りらの間には今も互いに異なる自尊心と感情、野心と目的などが同居しているが、そこに金融制裁、贅沢品統制、金正日の健康悪化、など少しの衝撃が加えられれば必ず揺らぐようになっている。
張真晟のブログhttp://blog.daum.net/nkfree
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