浦項市の観光客支援は積極的だ。海外から団体観光客やVIPが来ると言えば、釜山の金海空港までピックアップサービスを行う。中でも力を入れているのが日本からの観光客誘致だ。
日本での知名度はソウルや釜山、同じ慶尚北道の慶州にはおよばないものの、浦項は日本とは古くからの交流があった町として知られている。
西暦170年、新羅時代の神話が残っている。当時浦項から岩に乗って日本に渡り、日本で王になったといわれる延烏郎(ヨンオラン)と細烏女(セオニョ)の神話だ。
それから時を経ること約1800年、1920年には瀬戸内海の日本人漁夫が、100人を超える規模で市の東海岸にある九龍浦に定着した。浦項は天然の好漁場であり、漁夫はニシンなどを獲って生活していた。日本人村が形成され、今も当時の面影を残している。
1970年代は、浦項にとって一大転機となった。韓国経済の高度成長の象徴である鉄鋼会社ポスコが同地に製鉄所を建造。日本と緊密な協力で建てたものだった。漁業の町として発展してきた浦項は、一転して工業の町になった。
そして2010年。市は現在、すべての職員に日本研修を経験させている。市長直属の「日本チーム」があるのも、全国の自治体で浦項市だけだ。
昨年完工した迎日湾新港の背後に広がる部品素材工業団地は、複数の海外企業の入居を予定している。ポスコの鋼板が日本の自動車メーカーに納入されていることから、日本の機械・部品メーカーなどの進出も期待されている。
製鉄業と付随する産業の発展により、人口約52万人の浦項市は、韓国の人口の約1%を占めるまでになった。市民らは「大韓民国の未来を導く市民」と自任している。
ポスコ、東国製鋼といった世界有数の企業と、韓国最高の工科大学であるポステック(POSTEC)は、常に新鮮な活力を生み出している。国内最大の活魚市場である竹島市場は、浦項が今でも漁業が盛んな町であることを証明している。李明博大統領もこの町で幼少期を過ごした。
日本からの観光客にとって、何よりも嬉しいのは浦項市民が抱く日本への関心と好意だろう。町を歩いてみれば、ややぶっきらぼうだが人情味あふれる慶尚道民の親切さに触れることができる。
現在市内には、市の日本チーム職員以外に、日本の観光客を案内する市民ボランティアが50人以上いる。市職員2000人のうち、10%が日本語の勉強に励んでいる。言葉の面で困ることは、ほかの観光地に比べて少ない。浦項観光の最大の魅力は、地元の人々との交流にあるといっていい。
朴承浩市長は「浦項はソウルや釜山に劣らない見どころや食べ物があふれる場所。認知度が低いのがネックになっている。口だけでなく、実践で日本との真の親善関係を育んでいきたい。観光と産業、慶尚道の人情まで感じることができる浦項の魅力を、ぜひ皆さんにお伝えしたい」と話した。
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