趙甲済
準国家変乱事態だった「狂牛病乱動」の主謀者たちの中、実刑を宣告されて監獄で服役中の人は1人もいない。国家は、善人がないため、賢明な人がないため滅びない。悪党を膺懲できない時滅びる。つまり、勇者がないため滅びるのだ。自らの善良を護れない弱者は、強い悪の奴隷になるだけだ。
李明博大統領やハンナラ党のように、強い手段を持っていながらも善人を保護せず、悪党と妥協し悪党らに屈服する執権勢力は、その日和見主義性のため権力を手放した後高い代価を払うことになる。強い時、悪党を膺懲できない者は、弱い時悪党に食われる。その時誰も同情しない。李大統領の周辺の「中道論者」たちは、不法行動を日常行う左傾勢力を庇護するか彼らと妥協して、大統領を保護し、人気を高めようとするが、これは「自滅の愚策」になるだろう。
「狂牛病乱動」の最大の被害者だった李明博大統領は、昨夜ぐっすり眠れたか? 多くの愛国者たちは腹が立って寝そびれたはずだ。正義は憤怒から始まる。理念は感情ともいう。大統領が、経済を上手くやって法治で得られなかった点数を補充するか覆うと計算したらこれは誤算だ。大統領の第1の任務は法秩序の守護であり、二番目が安保で、三番目が経済だ。選択科目で良い点数を取っても、必修課目の落第点を補充することは出来ない。
有権者である国民は、李容勳大法院長や判事たちを選出しなかった。選出されない権力が、国民を苦しめ、憲政秩序を破壊する行為は、選出された権力が監視し牽制しなければならない。つまり、国会は選出されない権力である大法院長や判事たちの不法行為を牽制、監視、弾劾すべき義務があるのだ。大法院長と判事たちが「司法府の独立」という美名の下、憲法、国家、常識、事実、そして自由を破壊する自由を享受しようとする時、これを審判せねばならないのはまず国会議員であり最後は国民だ。国会がその義務を果たさない時は国民が立上がらねばならない。
法治を確立してこそ先進国になれるこの時点で、大韓民国がこんな大統領とこんな大法院長とこんな判事たちを持ったことは試練であり挑戦だ。偽善の塊である大法院長や憲法を否定する法律技術者らは、祖国の先進化への決定的障害物だ。このような障害物を片づけられる、教養のある国民と勇気のある国会議員は何人くらいいるだろうか? 歴史を変える力は、いつも少数の義人たちが生んだ。A Few Good Men!
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