大学に入ってはじめての夏休み、敦賀に帰省していたある日の午後、祥一は海岸に散歩に出た帰り、気比神宮の大鳥居の前で、高校三年のとき同級生だった深沢正恵にばったり出会った。
深沢正恵は、教室で洋子のすぐ後ろの席に坐っていた女生徒で、洋子とは親友だった。卒業後は東京のある女子短大に進み、祥一や洋子らと同じく、やはり上京した。
彼女は買物に出かける途中らしく、買物籠を腕に下げていた。
高校時代、彼は彼女とも口を利いたことがない。それなのに、ばったり顔が合ったとき、
「深沢さんじゃないですか」
と、まるで深沢正恵が気安い同窓生であるかのように、彼にしては珍しく気さくに声をかけたのは、あれはどういう心境からだったのか。
「しばらくです」
深沢正恵は、彼に調子を合わせた。彼女も夏休みで帰省していたのだった。ほんの数分間立ち話しただけだったが、彼は、彼女がいま目黒の親戚の家に住んでいることなどをきいたあと、こんどは洋子についてたずねた。
「その後、片桐さんに会いましたか」
「ええ、ときどき会っています」
東京でも、二人の親しいつき合いは続いているらしかった。
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「片桐さんも、上京したとはきいていましたけど」
「N化粧品という化粧品会社に勤めているんです」
「そうだそうですね。東京のどこに住んでいるんですか」
「保谷です」
深沢正恵は、ハンカチで額の汗を拭きながらいった。雲がほとんどなく、真夏の午後の陽差しがギラギラと照りつけていた。海岸を歩いてきたために、祥一の背にも汗が流れ、濡れた下着が肌にはりついていた。
すぐ横の、大鳥居の朱色の眺めも暑苦しさを増していた。その向こうの木立ちからおびただしい蝉時雨(せみしぐれ)の声がきこえていた。
「詳しい住所をご存知ですか」
祥一はきいた。
「ええ、知っておりまずけれど」
暑気でいくぶん紅潮している深沢正恵の顔に、彼がなぜ洋子の住所を知りたがっているのか、いぶかしんでいるふうな表情がよぎった。高校のとき、祥一と洋子が没交渉だったことは深沢正恵も知っていた。片桐さんに何の用があるのかしら、と怪訝(けげん)に思っている気配が深沢正恵の表情に感じられた。
「ご存知でしたら、教えて貰えませんか」
怪訝そうな深沢正恵の表情を無視し、ふだんに似合わぬ強引さで祥一はいった。
片桐洋子の住所をきいて、どうするつもりなのか、彼にもはっきりしていたわけではなかった。手紙を書こうなどという気持も起きていなかった。そのときも、彼のズボンのボケットには鬼胡桃(おにぐるみ)が入っていた。海岸を歩きながら、鬼胡桃を鳴らしてきたところだった。
洋子を考えながら喝らしていたわけではない。鬼胡桃を握るという所作は、すでに習慣化されていた。指の皮をむしる癖が、鬼胡桃を握り締めて鳴らす癖に転化してしまっているという感じで、彼の中で、鬼胡桃と片桐洋子とは、もはやほとんど分離されていた。鬼胡桃とは関係なく、気になる人になっている洋子の所在を、ただ何となく知りたいと思ったのだ。
1984年8月28日4面掲載 |