ログイン 新規登録
最終更新日: 2020-08-10 19:12:58
Untitled Document
ホーム > アーカイブ > 小説
2009年11月30日 10:43
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
序曲(49) 金鶴泳

 大学に入ってはじめての夏休み、敦賀に帰省していたある日の午後、祥一は海岸に散歩に出た帰り、気比神宮の大鳥居の前で、高校三年のとき同級生だった深沢正恵にばったり出会った。
 深沢正恵は、教室で洋子のすぐ後ろの席に坐っていた女生徒で、洋子とは親友だった。卒業後は東京のある女子短大に進み、祥一や洋子らと同じく、やはり上京した。
 彼女は買物に出かける途中らしく、買物籠を腕に下げていた。
 高校時代、彼は彼女とも口を利いたことがない。それなのに、ばったり顔が合ったとき、
「深沢さんじゃないですか」
 と、まるで深沢正恵が気安い同窓生であるかのように、彼にしては珍しく気さくに声をかけたのは、あれはどういう心境からだったのか。
「しばらくです」
 深沢正恵は、彼に調子を合わせた。彼女も夏休みで帰省していたのだった。ほんの数分間立ち話しただけだったが、彼は、彼女がいま目黒の親戚の家に住んでいることなどをきいたあと、こんどは洋子についてたずねた。
「その後、片桐さんに会いましたか」
「ええ、ときどき会っています」
 東京でも、二人の親しいつき合いは続いているらしかった。


「片桐さんも、上京したとはきいていましたけど」
「N化粧品という化粧品会社に勤めているんです」
「そうだそうですね。東京のどこに住んでいるんですか」
「保谷です」
 深沢正恵は、ハンカチで額の汗を拭きながらいった。雲がほとんどなく、真夏の午後の陽差しがギラギラと照りつけていた。海岸を歩いてきたために、祥一の背にも汗が流れ、濡れた下着が肌にはりついていた。
 すぐ横の、大鳥居の朱色の眺めも暑苦しさを増していた。その向こうの木立ちからおびただしい蝉時雨(せみしぐれ)の声がきこえていた。
「詳しい住所をご存知ですか」
 祥一はきいた。
「ええ、知っておりまずけれど」
 暑気でいくぶん紅潮している深沢正恵の顔に、彼がなぜ洋子の住所を知りたがっているのか、いぶかしんでいるふうな表情がよぎった。高校のとき、祥一と洋子が没交渉だったことは深沢正恵も知っていた。片桐さんに何の用があるのかしら、と怪訝(けげん)に思っている気配が深沢正恵の表情に感じられた。
「ご存知でしたら、教えて貰えませんか」
 怪訝そうな深沢正恵の表情を無視し、ふだんに似合わぬ強引さで祥一はいった。
 片桐洋子の住所をきいて、どうするつもりなのか、彼にもはっきりしていたわけではなかった。手紙を書こうなどという気持も起きていなかった。そのときも、彼のズボンのボケットには鬼胡桃(おにぐるみ)が入っていた。海岸を歩きながら、鬼胡桃を鳴らしてきたところだった。
 洋子を考えながら喝らしていたわけではない。鬼胡桃を握るという所作は、すでに習慣化されていた。指の皮をむしる癖が、鬼胡桃を握り締めて鳴らす癖に転化してしまっているという感じで、彼の中で、鬼胡桃と片桐洋子とは、もはやほとんど分離されていた。鬼胡桃とは関係なく、気になる人になっている洋子の所在を、ただ何となく知りたいと思ったのだ。 

1984年8月28日4面掲載

1984-08-28 4面
뉴스스크랩하기
小説セクション一覧へ
中国共産党の横暴に立ち向かう
民主化勢力と人権運動家の素顔
文政権が強行する「公捜処」設置
日本初 東京で「黒い傘運動」
米国が中共に宣戦布告
ブログ記事
「トロッコ問題」問題
道徳と相対主義(哲学の現在6)
4.15総選挙の不正疑惑を徹底調査せよ!
中国の脅威
「俺はこういう人間だ」
自由統一
対北ビラ弾圧は利敵行為
南北関係を原点に戻す北の対米「正面突...
北の「崖っぷち戦術」ふたたび
北韓住民の希望を踏みにじる野蛮集団
対北ビラ禁止法巡り非難の声


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません