金東吉(フリーダム・ウォッチ)
国土の分断は、第2次世界大戦で勝利した連合軍がやったことで、北緯「38度線」をひいたのは米軍の参謀部のある将校だったと言われます。「38度線」は韓国戦争が勃発した1950年まで民族の災難を象徴する数字でした。自由を求めて手ぶらで「38度線」を越えてきた人々を「3・8タラジ(難民)」と呼びました。
まず、ソ連軍が撤退しないから、米軍も撤退できたでしょうか。日本軍の武装解除が終りましたが、どういうわけか米ソ両軍の撤収はなされませんでした。ソ連軍は北の戦争準備を済ませてから撤収しながら、「米軍も撤収せよ」と大声で言ったため、米軍もやむを得ず撤収はしたが北の南侵を防ぐほどの軍事的準備は全くありませんでした。その隙を衝いて「人民軍」が南侵を敢行し、われわれは押され押されて、釜山が大韓民国の臨時首都になったりもしました。
しかし、われわれは国連軍の助けを得てソウルを奪還し、北進、また北進して、白頭山の頂上に太極旗(国旗)を掲げる日も遠くないと信じたが、「中共軍」の参戦は大韓民国が主導する統一の夢をこなごなにし、その後に休戦ラインが引かれて分断は今日にまで至りました。世界のどこにも我々のように未だ分断された国はありません。 今も金正日と「人民軍」は韓半島赤化統一の野心を捨てていません。
南派(南へ侵入)された数多くのスパイと彼らに獲得されたアンポンタンらは、韓半島を金正日の治下にするためあらゆる凶計を目論んでいます。 その中でも随一の凶計は、大韓民国の憲法を死守して自由民主主義を護る人々を「保守・反動」とレッテルを貼り、反面、北の独裁体制を擁護する者らを「進歩・改革」と呼ぶようにしたことで、世の中にこういう理不尽がまたあるでしょうか。
全世界が「理念」を超越したと言っても、休戦ラインの北に金正日が生きている限り、韓半島においては「理念」が組分けの最も大きな基準にならざるを得ません。旧ソ連でも東欧圏でも全部終わった戦いですが、韓半島では毎日新しい戦いの火種です。大韓民国の4700万の絶対多数が自由民主主義を選択します。ところが、ごく少数は金正日の方に立って、大韓民国が築き上げた民主主義の枠組みを破壊しようと歯を食いしばっています。
権力を持った人々がこの事実が分からず、「左」だの「右」だの「中道」だのと言いながら、のんきにロマンチックな歌ばかり歌っていては、ある朝、われわれは金正日の世の中で目覚めるかも知れません。その日こそわれわれが皆死ぬ日です。北の対南工作がしつこく続く限り、韓半島や大韓民国に和合はありません。「核」の魔王のような金正日が分断の持続と混乱の直接的な原因です。
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