温ジョンリム(ニューデイルリ記者)
趙甲済、チョ・カップジェドットコム代表は現役の記者だ。1998年6月から2000年1月2日まで朝鮮日報の出版局副局長兼「月刊朝鮮」の編集長を務めた。翌日の1月3日、月刊朝鮮が(株)月刊朝鮮として朝鮮日報から分社するや2004年9月20日までは月刊朝鮮代表理事社長兼編集長として、2005年3月までは月刊朝鮮代表理事社長を務めた。
代表理事社長の時も彼は記事を書く「記者社長」だった。そして自身の名を取った趙甲済ドットコム代表の今も彼は相変らず現役だ。月刊朝鮮時代から彼とともに仕事をしてきた趙甲済ドットコムの金東炫氏は、「うちの代表は、一日に記事を10件以上書くこともあります」と話した。断言するが、一日に10件の記事を書く記者は我が国にいない。その上、彼の記事は大部分が長文だ。知らせたくて、伝えたい「真実」が彼の冷たい脳と熱い胸中にぎっしりと詰まっているためだ。
39年間記者生活をした。その彼が5月16日、意味のある賞を貰う。第44回の「5.16民族賞」(安保部門)受賞者に選ばれたのだ。「賞福」の多い人だ。1971年韓国記者協会の第7回韓国記者賞(取材報道部門)、1990年韓国雑誌協会の雑誌記者賞、1991年日本毎日新聞が授賞した第4回アジア太平洋賞特別賞、1994年第12回寛勲言論賞、2001年明るく力強い国賞、2006年第22回ソウル言論人クラブの言論人対象コラム賞、そして昨年には第3回林升準自由言論賞(論説論評部門)を受けた。
それでも今度の賞は感慨が違うそうだ。
「主宰側が授賞の理由をこう話しました。『大韓民国の現代史の真実を記録して国家のアイデンティティを守護することに寄与した』とです。そう評価されたことが嬉しくて意味のあることだと思います。」
自身が見守った現代史が、歪曲され偽りで染まるのを銃でなくペンを以って護り抜いたということに趙代表は自負心を感じるのだ。
「今日のわが韓国が体験している戦争は、銃で戦うのでなく思想戦です。この戦争で、ペンをもって戦った私の汗や努力が認められたことが、私には大きな甲斐です。」
彼は、真実を護ることが記者がやるべき仕事だと信じる。真実を護ろう頑張って見たら、国体を、国家のアイデンティティを護る努力に集中するようになったという。真実の歪曲の例として、彼は去年のロウソク示威を挙げた。
「去年、国中を揺るがしたロウソク示威も、結局真実を護れなかったため、正義も護れず、国民の大切な自由と幸福も護れなかった場合でした。」
最も安全な米国産牛肉を、真実を隠し歪曲して、全国民が不幸な歳月を送ったということだ。
「釜馬事態」と「光州事態」など、彼は激動期の韓国史の最も激しい現場にいた。そして今も39年間も現場を護っている。1945年生まれだと仕事が楽な歳ではない。いったい何が彼を情熱の生や真実守護の修道僧のほうに導いているだろうか?
答は簡単だった。
「憤怒です。」
偽りと扇動、歪曲が彼を怒らせ、その怒りが彼を走らせるというのだ。
「偽りから真実を護るため、そして真実を正しく記録し、まっすぐに国民に知らせたくて熱心に書き、講演をするのです。」
それで、彼にとって「屈曲の多い韓国の現代史の現場は祭りであり、冷めることを知らない好奇心は祝福」だと話す。
朴正煕大統領に対する彼の関心と情熱は広く知られている。「10.26」以後、独裁者として罵倒された朴大統領を正しく知らせ、今日の偉大な指導者の一人として位置づけられるには趙代表の役割が大きかった。
「朴大統領の延長線の上で第5共和国もやはり再評価されなければなりません。第5共和国の全斗煥元大統領もやはり血を流して独裁者として執権したが、盧泰愚民正党代表とともに作った「6.29宣言」で民主化への道を開いて退いた大統領とみるべきです。」
全斗煥、盧泰愚の二人は、1980年代に世界1位だった毎年10.1%の経済成長、ソウル・オリンピック、「北方政策」など、朴大統領が残した業績を成功的に継いだというのが趙代表の評価だ。
趙代表は韓国の民主主義はまだ幼いが、そのインフラがよく整っていると信じる。
「左派政権10年間数えられない程多くの左傾化の企画があったが、よく構築された民主化のインフラがそれに耐え抜いて、政権奪還に成功できました。韓国の存在そのものを否定した左派政権の「6.15宣言」という、「6.25南侵」よりもっと恐るべき攻勢を防ぎ、体制を守護したのがまさにわれわれの民主化インフラの力です。」
趙代表に力を与える人がいる。黄長燁前「朝鮮労働党」秘書がその人だ。
「黄長燁先生は、『統一は、思想戦で勝ってこそなされる。韓国は思想戦を軽く見て経済戦のみを勝てば良いと考えるが錯覚だ。腹がへった狼はいくらでも太った豚を平らげられる』といつも強調します。個人的に黄先生にたくさん教わっています。」
趙代表は金賢姫との単独インタビューや黄長燁氏、また数多くの脱北者らとの出会いを通じ、誰よりも北韓事情に通じている北韓通でもある。
「金賢姫氏インタビューを契機に、北韓に対して関心を持つようになりました。北韓で住んだり北韓から脱出してきた人々に会っている内に自然に北韓の実情が分かるようになりました。」
彼は北韓が分かるという南韓の人々を二つの部類で分ける。
「主体思想など、本を通じて北韓を知っている人らには北韓は楽園として映ります。そして私のように北韓住民たちや北へ行ってきた中国同胞等を通して北韓を知る人には北韓が地獄です。本で分かる北韓と、人を通じて分かる北韓の中でどれが正確でしょうか。本で分かる北韓は実際には存在しない国です。」
趙代表は、「北に対して漠然とした幻想やロマンを抱く『心無い左派』が私たちの周りに余りにも多いです。私たちは彼らと終わりが分からない戦争をやっているわけです」と声を高めた。
趙代表は、この戦争で勝つため文を書き、ソウルへ釜山へと講演に走り回る。 毎週ソウルで開かれる彼の講演は平均400人余りが集まって盛況だ。初講演以後、5年間皆勤した「熱心なファン」たちもいる。月1回開かれる釜山講演は、月2回に増やしてくれという要請が続いている。趙代表は、もはや国家アイデンティティの守護を超え、「国民教師」になっている。考えてみると、朴大統領と似ていた。政治家というよりは、貧しい国民を教えて呼び覚ましながら、豊かな国を作ろうとした朴大統領、そして彼の話のように「心無い左派」に迷惑される国民に、「それは違うと、大韓民国国民の正しい道はこれだ」と教える趙代表は、互いに似ていた。
「国民に誰が敵で、誰が友人なのかを教えてあげるため講演に出ます。このように正しく見る目をひらいてあげるのが私に与えられた召命です。」
だが、講演を繰り返すほど安心するのでなく、不安になるという。心無いウェルビーイング政党のハンナラ党は、情けないというより憎くなるほどだ。
「片手に銃を取り、他の手に槌を持って、『‘戦いながら働き、働きながら建設した』大韓民国が、左派に振り回されているのに、戦い方も知らず、後ずさりにばかり慣れている与党は政党でもありません。」「全教組の教育を受けた今頃の若者たちは潜在的な左派です。彼らをまともに呼び覚まして正しく教えるべきなのに、政府も与党も何の努力もしません。未来のための最小限の努力もしない政権が、また執権できると信じているなら、とんでもない誤判です。」
それで趙代表は、「このままでは、2012年また左派政権をむかえることもあり得る」というもどかしさを消せない。そして、そのもどかしさが彼をさらに駆立てる。きつくて病気の時も、「行って正しく伝えよ」と自らの肩を強く押す。
趙代表はこの頃本を一冊準備中だ。考えておいた題名がある。「韓国は必ず滅びる。この通りやれば」だ。このままでは国が滅びる理由の中で最も大きな理由として彼は「ハングル専用の意地」を挙げた。
「言語は人間精神の枠組みです。わが民族は漢字とハングルが融合した思考と伝達体系を持っています。ところで、この頃若い世代の漢字文盲率が60%を超えるそうです。意思が明確に伝えられず間違った疎通の場合が一度や二度でありません。産業現場ではこのため事故がたくさん起きるという話もあります。そして何より漢字を知らないと高級読書ができません。 そうすれば国民の知的水準全体が下向する不幸なことが生じます。いや、現在生じています。」
趙代表は、漢文文盲世代である若い層に対する心配も多かった。彼は、韓国社会を3階構造で把握している。3階は50代以上の既成世代、2階は左傾386世代、そして1階は「全教組」の教育を受けた世代だ。「1階と2階が肩を組めば国は左傾化します。3階が1階と手を握って国を正すべきなのに、孫世代の1階が左傾化された全教組の教育を受けたことが問題です。」
趙代表は、それで1階の世代に正しい教育をさせることが最も急ぐべき仕事だという。
「全教組教師が注入した歪曲された価値観を正して、延坪海戦も、6.25も、大韓民国の建国理念も教えなおさねばなりません。全教組は、幼い学生たちを自らが生きる大韓民国を恥ずかしく思う怪物に育てました。この子供たちが、正しく見て正しく考えるようにしなければなりません。」
彼は、この全てのため保守が結集しなければならないと結論付けた。単純に愛国運動だけをするのでなく、政治勢力化しなければならないと強調した。
「力は使用してこそ価値があります。戦わねばならない敵があれば戦い、また勝利しなければなりません。」
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