金成昱
ハンナラ党は刷新されねばならない。その方向は、大韓民国を正常化し、憲法精神を実践することだ。左派政権10年間の積弊を清算することだ。
5月11日、ハンナラ党の最高委員会議は全員一致で元喜龍議員を党刷新特別委委員長に任命した。元喜龍議員は「6.15反逆宣言」を国家記念日にする国会決議案に署名した者だ。少なくとも北韓政権と親北勢力の主張によれば、「6.15宣言」は赤化統一の文書だ。いったい、ハンナラ党はどういう刷新をしようとするのか? 「6.15反逆宣言」の実践なのか?
元喜龍議員の党刷新委員長任命は、ハンナラ党がこれ以上大韓民国を正常化し、憲法精神を実践できる能力も意志もないことを確認した事件だ。この無能で腐敗した執権勢力には、北韓解放や自由統一、一流国家を作り出すビジョンがない。ハンナラ党にこれ以上期待できることは何もない。
△元喜龍議員は、2005年12月19日、「ニュースアンドジョイ」とのインタビューで、「低い段階の連邦制」を主張した。彼の発言を引用する。
「意欲を前に出し、韓国モデルで吸収するのは望ましくない。ベトナムや中国モデルが良いだろう。画一的に一致(統一)しようとすれば韓国も崩壊する...吸収統一は不可能だ。中国が絶対許さないはずだ...南北連合と低い段階の連邦制を経ながら北韓に自治権を与える時期が必要だ」
△元議員は、「北韓の核実験を防げなかった責任を、対北包容政策そのものに問ってはいけない(2007年11月15日、平和財団創立セミナー)」と言い、核実験後も対北包容政策を固守し、甚だしくは、「北韓に対する現金支援」(2004年3月1日、「ニュー・ハンナラのための提言」)まで主張してきた。
△元議員は、「政府を僭称することを直ちに反国家団体と規定した部分は国家保安法から削除すべきだ(2004年12月14日、オーマイニュース)」、「ハンナラ党は、ほぼ国家保安法の廃止に近い改正案を出さねばならず、ヨルリンウリ党は改正案に近い代替立法を作りなさい(2004年9月14日、平和放送)」など、国家保安法の全面改正を主張してきた。
△このような主張は、2004年11月18日、元議員をはじめとするハンナラ党の少壮派グループの「新しい政治水曜会」の国家保安法改正案で具体化された。当時の改正案は、国家保安法の名称変更、政府僭称や称賛鼓舞の削除などを骨子とした。
△元議員は、2005年、姜禎求(東国大学教授)波紋当時、「姜禎求教授問題を色合論争へともって行くのは、消耗的な色合論争の罠だ(2005年10月17日、明日新聞)」と、姜の庇護に出た。
△元議員は、「私学法(私立学校法)」改正を巡ってのヨルリンウリ党とハンナラ党の対立の時、ハンナラ党の指導部と正面から衝突した。彼は、2006年1月5日、「ハンギョレ21」とのインタビューで、朴槿恵代表の「私学法闘争」と関連して、「朴代表のリーダーシップの底辺は、過去回帰的・対決的・観念的な理念の枠組み」、「極端に過敏で硬直している」、「これは病気だと思う」と露骨的非難に出た。
△元議員は、「北韓の人権改善や改革開放は、飢餓問題から解決した後時間を持ってやっても遅くない(2005年6月9日、仏教放送)」、「統一外交問題で北韓人権のみを問題にするのは一面的接近(2005年4月26日、西江大での特講)」と主張した。彼は、2003年7月1日、「北韓人権改善を促す決議案」の国会通過にも参加しなかった。
△元議員は、ヨルリンウリ党の「首都移転」に賛成する立場を示してきた。「行政府、青瓦台(大統領府)はもちろん、立法府まで移転する政府案に賛成する(2004年9月17日、オーマイニュース)」、「私は(首都移転)反対党論が決っても従わない...忠清圏を放棄しては次の大統領選挙も期待し難しい(2004年9月22日、オーマイニュース)」などの見解を表明してした。
△ 第17代国会の時、ハンナラ党から元喜龍、高鎮和、裵一道議員は、ヨルリンウリ党の裵基善議員が2007年5月31日代表発議した「6.15南北共同宣言記念日」決議案に署名した。
発議案は、「『6.15南北共同宣言』は、統一問題をその主人である『わが民族同士』が互いに力を合わせて自主的に解決しようとする大事な合意」とし、「南と北の全ての同胞が一つの心、同じ意思で記念に値する意味深い日」と称賛し、「6月15日を国家記念日に定めよう」と決議した。
△元議員は、2005年6月、平壌で開かれた「6.15宣言5周年民族統一大祝典」に、南側代表として参加した。当時、祝典に参加した与野党議員らは、同月27日、「南北間交流協力拡大を国会が積極支援する」という内容の決議案を国会に提出した。決議案は、第2次南北首脳会談の早期開催、南北国会会談の早期再開、政府次元の対北支援の法的装置の用意などを規定した。
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