趙甲済
今日、「4.19革命第49周年記念辞」(書面)で、李明博大統領はこういう表現を使った。
<独裁に立向かって自由と民主主義の守護のため命を捧げた民主烈士たちの霊前に謹んで冥福をお祈りします。自由と民主主義に献身したという自負心で生涯を生きておられる負傷者や遺族の皆さんにも深い慰労の言葉を申し上げます。
基本を正しく立て、原則を守ろうとする努力が、今静かにかつ一貫して進行しています。理念と地域と階層を乗り越えて、実用の価値観と肯定の歴史観が次第に根を下ろしています。
ノ(労)・サ(使)・ミン(民)・ジョン(政)の合意で、働き口の分け合いに参加して「譲歩交渉」を通じて「労使和合」を宣言する企業が大いに増えています。>
李承晩大統領を簡単に「独裁」と規定できるか? 「4.19」の時、新聞と放送は、遠慮せず政府を批判した。釜山文化放送は、馬山の示威現場から中継放送までした。しかも、李大統領は自ら退いた。「4.19」の意味を強調するため建国大統領の偉業を簡単に「独裁」と塗り潰してしまった李大統領が薄情な気がする。李承晩大統領より百万倍以上も深刻な独裁者の金正日政権に対して李明博大統領が「独裁」という表現を使ったという話を聞いたことがない。
しかも、昨年の「建国60周年記念式演説」で、李大統領は、建国の主人公である李承晩大統領に対し一言の言及も、感謝もしなかった。そうしておいて、「4.19記念辞」では苛酷に「独裁」と表現した。公平でない。露天商出身の李明博氏が、大統領のポストに上り詰められたのは、李承晩大統領が新生大韓民国に自由民主主義という看板をかけたおかげではないか?
また、「ノ・サ・ミン・ジョンの合意」という言葉はいったい何の暗号なのか? 労-使-民-政と書いてこそ分かるではないか? 李大統領の「ハングル専用」演説文は、韓国語の破壊文だ。「理念を越えた実用」という話も論理の破壊だ。理念を越える(無視する)実用はにせ物だ。自由民主主義の理念に支えられる実用こそ、「行商人の打算」と区別される。理念は価値観だ。「価値観を無視した実用」は、原則を無視した利己主義であるだけだ。
***********
昨年の8月15日の午前、昔の「中央庁」広場(景福宮の前庭)で開かれた、「第63周年光復節および大韓民国建国60年中央慶祝式」で、李明博大統領は祝辞を通じて、「大韓民国建国の60年は、成功の歴史、発展の歴史、奇跡の歴史であった」と強調した。去る大統領選挙で、左派候補が当選したら、われわれはその日「正義が失敗した歴史だった」との呪いを聞いていたはずだ。
李大統領は、「奇跡の歴史は、国民の皆様が皆一緒に綴って来たもの」と言った。李大統領は、続けて、「祖国の光復(解放)のため命を投げた殉国烈士、6.25戦争で散華した無名勇士、異郷万里で苦労された看護師や鉱夫たち、不正と独裁に立向かって戦った学生と市民」なぢがなかったら、自由大韓民国、漢江の奇跡、民主化への道もなかったはずだと語った。
李大統領は、「建国60周年」を祝う場で、ついに建国の主人公の李承晩大統領と建国世代を言及しなかった。「泰安半島の海辺に、我が事のように飛んで来た篤志奉仕家ら」には感謝しながら、悪辣な左翼や間抜けの米軍政当局と戦って自由民主国家を建設した主人公たちには、感謝しなかった。国家の誕生日の祝祭日の祝賀演説で、主人公の名前を抜いたのは、手落ちでなく理由があったはずだ。左翼らが「建国60周年」という言葉の使用に言い掛りをつけるから、演説文作成者が抜いたかもしれない。演説文の草案には盛込まれていたのに、大統領が抜いたかも知れない。李大統領が、世界が認める(日本を除いて)わが建国大統領の偉大性を判る見識がなかったら、これは国家的、人間的な不幸だ。
経緯がどうであれ、李明博大統領は、彼の生涯で決定的意味を持つ演説で決定的なしくじりをした。新羅の三国統一を祝いながら、金庾信に触れないのと同じだ。アメリカの独立を話しながら、ワシントンを言わないのと同じだ。聖書を教えながら、イエスを語らないのと同じだ。ハングルの来歴を話しながら、世宗大王を言及しないのと同じだ。韓民族史上、最も成功した国の大韓民国の誕生日を祝う場だった。その大韓民国の始祖格の李承晩に感謝する言葉や評価する言葉が一言でもあるべきではないか? それでこそ現代史の教育が正しくなされるではないか? それでこそ教育部が「全教組」の現代史歪曲を糺すつもりだと言えるではないか?
大韓民国の建国は、「国民の作品」というより、「李承晩と国民」の作品だ。李承晩がいなかったら、国民の力だけでは到底建てられなかった大韓民国だ。
李明博大統領は、「独裁と戦った数多くの学生と市民」と褒めたが、李承晩政権を「独裁」と悪く言うなら、「親北政権に立ち向かって戦って、政権を取り戻した数多くの市民」に対しても感謝の表現があってこそ公正だろう。「ロウソク乱動事態」で、途方に暮れた彼を助けた、国民と新聞と警察に対する感謝の表現もなかった。
「日帝」を敗退させて韓民族を解放させ、建国-護国-産業化-民主化の強固なパートナーだったアメリカに対する感謝がなかったことも衝撃的だった。
建国60年の最も大きな妨害屋の金日成が犯した「6.25南侵」を、李明博大統領は、「同族相残」、「6.25戦争」と表現した。「同族相残」とは、同族同士が殺し合ったという意味だ。「6.25戦争」という言葉にも加害者がない。外勢を借りて同族を討った、民族反逆者の犯罪はなぜあえて曖昧に表現し、民族の指導者の李承晩大統領の建国の意味と米国の助けはなぜあえて抹殺するのか?
李大統領は演説で、「北韓軍による金剛山観光客射殺事件」と表現せねばならない事件を「金剛山被撃事件」と呼んだ。被撃というと、銃に撃たれたという意であって、死んだとか殺したという意味がない。国軍の統帥権者が、北韓政権や親北勢力の顔色を窺うような、怖けたような用語を選択した。そういう人が法治の守護を強調するから話に重みがなく空しく感じられた。
悪に対して憤れない人は、恩恵に対しても有り難く思うことを知らないという気がした。慶祝式を終えて「清渓広場」で予定された「李承晩建国大統領に対する国民感謝の祭り」行事場へ歩きながら、ある愛国運動家と話を交わした。彼は、「李大統領は、左翼をまだ恐れているようだ」としながら、「生涯またと無い歴史的な場で、『低炭素・緑色成長』というものをビジョンとして提示した大統領」を批判した。国民は感動する準備ができていたのに、大統領は感情と所信が盛込まれなかった演説で冷水を浴びせた、という評だった。
まともに怒ることも、まともに感謝することも知らない人は、まともに愛することも、まともに戦うことも知らない。理念は感情である!
|