李柱天(コナス)
平壌訪問は、彼が北韓共産体制の矛盾を直視し、反共牧師に生まれ変わる良い契機になった
昨年、金剛山で朴・ワンジャ(女、53才)氏銃撃死亡事件が起きた5日後の7月16日、統一部から許可を得て、3泊4日間の日程で150人余りのキリスト教界の人々が平壌を訪問した。この団体の訪北は静かに行われ言論にもほとんど報道されなかった。この団体は、金・ヨンテ長老教総会長と趙誠基事務総長をはじめ、教会建築を主導した表・ミョンミンキリスト教長老会の男宣教会連合会の建築関係者で構成され、訪北目的は平壌の鳳岫教会の献堂式に参観することだった。
鳳岫教会は、2005年末に着工されてから2年6ヶ月で完成した、地上3階の延面積2000余㎡規模で、1200人が礼拝できる。建築に使われた資材はもちろん、礼拝室の長椅子まで全て韓国製品を使い、南韓の資本と技術、北韓の労働が一つになって完成し、「南・北和合の象徴」と言われる。
訪北日程は、金日成生家訪問-妙香山-平壌の鳳岫教会の順だった。1人当りの費用は170万ウォン程度だった。平壌には民航機便で行った。全州のS教会のC牧師も参加した。平壌行きは今回が初めての旅だった。お小遣としてショッピングのため500ドルを持参した。全州S教会の牧師は平壌に行ってきた所感を話したが、何度も北韓のみじめな生活像に涙が出たと言った。鳳岫教会で礼拝をあげたが、まずつくづくと周囲を見回すと目に付いたのは、礼拝に来た平壌市民たちの身なりだった。平壌に住む40-50代のおばさんたちが多く参席したが、彼女たちの田舎者のような憔悴した身なりと憂鬱で活気ない表情のため、涙が出たと言った。
平壌市内を見回ったらすべての建物が古く、お金がなくてペインティングができない状況で、車も韓国ではすでに二・三回は廃車してしまったほどの車らをそのまま使っていたという。平壌住民たちは良く言ってほとんどがスリムで、太ったとか肥満症の人はほとんど見られなかった。それほど食べるのが大変だという点は確かだった。
S牧師は、平壌で雨が降って傘を借りるのに1ドルを使った。平壌住民と直接接触や対話ができないように公安要員たちが常に監視して付いていた。平壌周辺の写真も自由に撮れないように統制した。北韓は、言葉どおり、居住移転の自由はもちろん、信仰と表現の自由がない国だった。平壌市民たちは晴れの日も長靴を履いている人々が多かった。排水施設が悪く、市内に水が溜まるということだった。金日成の銅像は至る所にあり、高さが何と10メートルを超えた。電力難が深刻でも夜間に灯りまでつけていた。主体思想塔は、高さが20メートルを超えた。平壌デパートに立ち寄ったが、買いたい物がなかった。
妙香山へ行くため平壌市内を抜け出たが、あまり車を見られなかった。車は10分に1台くらい擦れ違ったという。妙香山へ観光に行ったのに、やはり買いたい物は一つもなかった。そこには金日成-金正日父子に外国元首や各国の貴賓たちが贈り物をしたのを全て陳列した展示室が二つあったが、金日成と金正日が外賓から貰った贈り物を別々に展示していた。その中には現代グループの鄭周永会長がプレゼントしたものもあった。外国製自動車も展示されていた。北韓住民に強制的に観覧させ、金日成-金正日父子が如何に外国の指導者から尊敬されているかを誇示し、金日成-金正日の偉大性を宣伝する体制宣伝の場所として活用しているのだ。
S牧師は、帰国して妙香山で案内人の女性にチップ1ドルを与えられなかった点に対して痛ましく思えてきたと言い涙を濡らした。ショッピングもできず、499ドルはそのまま持って戻った。3泊4日間の観光で1ドルしか使えなかった国がまさに北韓の地だった。世界のどこにも北韓のような地は地球上に存在しない。キューバやアフリカの奥地の姿もこうではないはずだ。
平壌に行ってきてから、S牧師の所感は簡単だった。「北の金正日体制が早く滅びなければならないという気がした」という。「私が想像した以上に、北韓の生活像はみじめだった」。彼はこれ以上話を続けられなかった。なぜそのような北韓に教会建築などを支援したかという質問に対して、「ひょっとしたらキリスト教の布教に役に立つかもしれないと思って支援した」と苦情を打ち明けた。平壌に行ってきたS牧師に変わった点がある。「6.15共同宣言」の実践だの、南北協力だの、南北の共生だのという言葉が祈祷や説教から消えたことだ。S牧師の平壌訪問は、彼をもって北韓共産体制の矛盾を直視し、反共牧師に生まれ変わる良い契機になった。そのような点で、南韓人士らの訪北が否定的効果ばかりがあるではないとの気がした。(konas)
李柱天(円光大学教授/ニューライト全国連合共同代表/国際現代史研究所長)
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