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2009年03月10日 01:34
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今や狂犬(金正日体制)には棒を!
韓半島のうっとうしい現状は打破されるべき時点だ。
金成昱
「狂犬には棒が必要だ」
朴正煕大統領が思い出される2月だ。今年に入って、北の「狂態」が連日続いたためだ。
平壌の「祖国平和統一委員会(祖平統)」は、2月21日代弁人声明で、「最も無慈悲で断固たる決断で、(李明博)牌党と最後まで決着をつける」と言った。これに先立ち吐き出した北側の対南恐喝は以下の通りだ。
 
「南北の間の政治・軍事的対決は、極端に達し、物理的衝突だけが時間の問題として残っている(朝鮮中央通信、2月19日)」
 
「(南側は)全面対決態勢に進入した状態であるということを絶対忘れてはならない。(総参謀部代弁人、2月18日)」
 
「南北の間の政治・軍事的対決状態の解消と関連した全ての合意事項らを無効化する(1月30日、祖国平和統一委員会)」
 
1月17日には、軍服を着た大佐階級章の「人民軍総参謀部」代弁人が、朝鮮中央TVに出演した。「韓国政府が対決を選択した」、「私たちの革命的武装力は、それを打っ壊すための全面対決態勢に進入することになる」という要旨だった。南北合意をすべて破壊した、緊張のみを高めた北韓政権の荒唐無けいな開き直りだった。
 
<北韓政を好狂で呼んだ朴正煕>
朴正煕大統領は北韓政権を好戦狂と表現した。1976年、「板門店斧蛮行事件」の時は「狂犬には棒が必要だ」という演説もした。
 
彼は、非正常集団に対して正常的方法では対応できないと信じた。力を信じる強盗の群れは、もっと強い力をもって抑えるべきだと思った。北韓政権に対する宥和的対応は、戻れない「奴隷の道」であることを直観した。
 
1973年10月頃から北韓は西海での挑発に出た。1972年の「7.4共同声明」の後、「まもなく統一される」という国民のバラ色の幻想を北側が悪用したのだ。
 
北側は、NLLを一日に10~20余隻で、総43回も越線させ、10海里(18km)まで南下させた。小型艦中心の北韓船舶は、白翎島近隣の島(白翎島、大青島、小青島)に近接して包囲を試みた。低速の大型艦中心だった韓国海軍は対応が難しかった。一度回るのに1km近く必要なほど、大きく鈍かったからだ。これが一名「西海5島封鎖事件」だ。
 
当時、韓国海軍は積極的な攻勢作戦を展開した。朴大統領が戦争も辞さないという程度の指示を下したからだ。今のようでは、「反戦・平和」を叫ぶ左翼らが市庁の前で「ロウソク集会」に出たはずだ。だが、大統領の強い後見の下、海軍は自衛的措置に出た。
 
結局、1975年、韓国駆逐艦は1000トン級の北の漁撈指導船を沈めた。衝突後42秒で沈んだ。あまりにもはやく沈んだので、甲板にいた北韓船員らも水中に吸い込まれていった。
 
朴大統領は以後新しい行動に出た。台湾の金門島・馬祖島式に、西海5島の要塞化作業に出たのだ。高速艇の国内開発も始めた。NLLを必ず護るという政府の死守意志は、1990年代まで続いた。韓米連合軍司令部とUN軍司令部も韓国政府を支持した。
 
北韓に対する強硬対応は、全面戦を呼ぶかに見えるが、むしろ大韓民国の安全と平和をもたらした。皮肉にも、1997年以後、金大中式の「和解・協力」のスローガンが乱舞してから、西海は紛争地域に変わった。1999年6月と2002年6月の「1・2次延坪海戦」は否めないその証拠だ。
 
国の安全と平和は維持されたが、大統領は命をかけねばならなかった。
1967年1月21日、北の121部隊の特殊部隊員31人は、青瓦台襲撃に出た。青瓦台の直ぐ近くまできた金新朝は、尋問に対して躊躇なく「私たちは朴正煕の首を取るためにきた!」と答えた。1974年8月15日、大統領を狙った凶弾に陸英修女史が息をひきとった。だが、朴大統領は怖けなかった。
 
<朴正煕は命をかけた>
「狂犬に棒が必要だ」。この公式は、米・北関係でも変らなかった。1976年8月18日、「板門店斧蛮行」事件が起きた。この事件は、板門店の共同警備区域内で、北韓軍らが米軍将校2人を斧などで無慈悲に切って殺した事件だ。
 
当時、国連軍側は共同警備区域内の「自由の橋」の南側に位置したポプラが生い茂って、北側を観測するのに障害になって枝刈りに出た。
この時、トラックで押寄せた北韓軍20人余りが斧・棒・シャベル・ツルハシなどで、韓・米将兵らを片っ端から襲った。一瞬のうちにポプラの下は一面が血になった。米軍将校二人が殺害され、韓国軍将校1人と兵士4人、そして米軍兵士4人が重軽傷を負った。
 
米国は直ちに北側の「板門店蛮行」を赦せないとし、解明と賠償を要求した。もし、北韓が拒否したら強力に報復すると警告した。
アメリカは断固とした。対北報復攻撃準備の一環で日本に停泊中だった航空母艦ミドゥウェイを北韓海域へ航進させた。大型の空中給油機15機を、沖縄の米空軍基地から東京の横田基地に移動させた。いざと言う時は北韓を攻撃する決然とした意志を表わした。8月21日の朝には、B52爆撃機とヘリコプターなど26機を出撃させた。その日、問題のポプラも切られた。韓・米両国軍300人が出動したのだ。
 
強硬対応は全面戦争を呼んだのか? 違う! 北韓は何の抗議もなかった。息を殺し死んだようにじっとしていた。おびえた金日成は、親書を通じ「遺憾表示」を伝えた。結局、米国側に謝った。
 
<硬策で中断した北側の板門店テロ>
アメリカの対北強硬対応を契機に、北韓の一名「板門店テロ」は止まった。
北側は、1960年代の中盤から米国を侮って挑発してきた。板門店の近くでともすれば米軍を足で蹴ってげんこつで殴り、はなはだしきは殺害した。北韓軍は、1966年4月14日、板門店の非武装地帯で待ち伏せして、板門店に行く米軍を襲撃した。米軍2人と韓国人兵士のカチュサ2人が殺害された。米国がベトナム戦に縛られて身動きが取れなくなるや、思う存分挑発したのだ。
 
北韓軍は、1968年1月23日、米海軍の情報収集艦プエブロ号を東海上で拉致した。1975年7月15日、米軍少佐を踏みにじって重傷を負わせた。米軍側の無気力な対処の中、北側は意気揚揚だった。相手側が弱く出るほど思う存分踏みにじった。北韓の蛮勇は、1976年の「斧蛮行事件」につながった。しかし、この時は米国も本気で怒った。ベトナムから撤収した後だっので、軍隊の運用が自由だったためだ。
 
北韓の挑発に対する解法は、「宥和的説得」でなく、「強硬な対応」だ。歴史はこれを物語る。朴大統領はこの真実が分かり、実践した。アメリカも1976年これを体験した。
 
<況はわったのか?>
30年が経った今、北韓は変ったのか? 北韓政権は、「朝鮮労働党」の党規約で、「朝鮮労働党の...最終目的は、すべての社会の主体思想化と共産主義社会を建設するところにある」と釘をさしている。共産統一を最終目的として設定した北韓政権は、2000年の「6.15宣言」以後も、専ら武力による統一しかないと言い、このように主張してきた。
 
「過ぎ去った半世紀の歴史は、わが国で米帝と南朝鮮傀儡らをそのまま置いては絶対に祖国統一を成し遂げることができないということを見せてくれた。祖国の統一は、ただ、武力による道しか他の方法がない。すべての軍人は、敬愛する最高司令官同志の武力統一観をもってしっかり武装し、武力で必ず祖国を統一しなければならない。(平壌、朝鮮人民軍出版社、2000年9月発行の『敵に対する幻想をなくし、階級の銃創を一層鋭く研ぐことに対し』)」
 
北側が変わらなかったとすれば、対応策も同じでなければならない。南・北間のすべての合意を無効にすると? それならわれわれも方法がある。まず、休戦ライン上の対北放送を再開して、北韓へ真実のメッセージを浴びせねばならない。北側の船が済州海峡を通過するのを許した合意も無効になったから、済州海峡の通過を禁止させねばならない。対北風船飛ばし運動を汎国民的に展開しなければならない。
 
何より、大統領は憲法が規定した自由民主主義統一のための行動に出なければならない。このため朝鮮労働党の解体のための対北作戦(operation)を始めなければならない。
 
60年間続いてきた韓半島のうっとうしい現状は、もう打破されるべき時点だ。北韓の狂態が、自由統一に向かう韓国人の力強い歩みを促している。時代は、狂犬に棒を取る指導者を呼んでいる。朴正煕が始めた「近代化革命」は、完成の時期に近付いている。
 
www.chogabje.com 2009-02-26 00:22
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