村田信彦(スイス・ベルン新聞記者)
(月刊朝鮮2009年3月号、スイス・ベルン新聞の日本人記者のSTASI資料発掘記事の中から抜粋)
平壌側から500万ドルを貰って、金浦空港爆弾テロ(1986年9月14日、5人死亡・29人負傷)を恣行したアブー・ニダールは、中東地域においての金日成の代理人だった。アブー・ニダールの全盛期だった1980年代の中盤に彼を支援した独裁者らは金日成の他にも、カダフィ(リビア)、アサド(シリア)、フセイン(イラク)、パシル(スーダン)などだった。
アブー・ニダールが、平壌側と直接接触し始めたのは、PLOのアラファトが、アブーニダールとアブー・ダウドなどを1972年3月28日から4月8日まで極東に派遣した時、中国共産党(周恩来)から冷遇された後、平壌に到着して金日成に会った時だった。金日成は、初めての出会いでアブー・ニダールが気に入ったという。金日成は、アブー・ニダールを中東に据えた自分の代理人として考えることになった。アブー・ニダールは、平壌に事務室を置き、テロ戦士らを北韓に送って、軍事訓練を受けるようにした。
アブー・ニダールは、平壌側(*1975年以降、北の工作機関を指揮したのは金正日だ!)の請託を受けて、外国人拉致事業もやった。レバノンの首都ベイルートで、「日本の会社が高級秘書を募集する」という虚偽広告を出し、応募した4人の女を北韓へ拉致(*1978年)した。アブー・ニダールは、シーア派のアラウィ教徒なので、背信者と言われないように、キリスト教徒3人とスンニ派1人を選んだという。この拉致事件が言論に暴露されるや当時レバノン外相のホアドゥ・ブトロスの努力によって、北韓政権はキリスト教徒の3人は帰した。
(アブ・ニーダルと平壌側とのテロのコネクションに関するシュタジ資料の調査記事は、月刊朝鮮2009年3月号で全文が読めます。) |