月刊朝鮮2009年3月号
1986年発生した「金浦空港爆弾テロ」は、北韓から500万ドルを貰ったテロリストのアブー・ニダール組織がやったことだと月刊朝鮮3月号が報道した。「アブー・ニダールが、北韓から請負って、金浦空港テロを恣行したと自白した」という記録が発見された。
2002年、イラクで死亡したアブー・ニダールは、オサマ・ビンラデンが登場する以前までは「イスラム圏で最も残忍なテロリスト」として知られていた。
「金浦空港爆弾テロ」は、ソウル・アジア競技大会の開幕1週間前の1986年9月14日、金浦空港で爆発物がさく烈して、5人が死亡して29名が負傷した事件だ。当時、韓国政府はこの事件の犯人を突き止められなかったが、ソウル・アジア競技大会を妨害し、終局的には1988年のソウル・オリンピックを阻止するため北韓工作員が恣行したものと推定されると発表した。
月刊朝鮮によれば、スイスのベルン新聞社の村田は、「金浦空港爆破事件」を調査した報告書を、ベルリンの「旧東ドイツ情報機関のシュタージ(STASI)資料管理連邦政府特命センター」で見付けた。この報告書は、金浦空港テロの直後、東ドイツのフランツ大佐が指揮するシュタージのある部署(22局)が、金浦空港爆破事件に対して調査したものだ。報告書の中には、22局のある幹部が、国際的に悪名高いテロリストのアブー・ニダールを尋問した記録もあったが、アブー・ニダールは、尋問過程で北韓からの請負で組織員に指令し、金浦空港をテロしたと自白した。
シュタージの調査によれば、アブー・ニダールが率いたテロ組織が、北韓当局から金浦空港件の請負を受けたのは1985年末だった。アブー・ニダールは、組織内序列2位でテロ担当だったシュレイマン・サムリンに実行を指示した。シュレイマン・サムリンは、テロ用爆弾をよく作るアブー・イブラヒムに爆弾の製造を指示し、イブラヒムは同居中の西ドイツの赤軍派要員だったプレデリケ・クラベに爆弾運搬の任務を任せた。
クラベは英国人として偽装して金浦空港に入国し、爆弾を5・6番ゲートの間のごみ箱に置いて香港に出国した。「金浦空港爆破事件」が成功した後、北韓政権は、スイスから、オーストリア ウィーンのある銀行のアブー・ニダールの秘密口座へ500万ドルを送金した。
このような請負の取り引きは、アブー・ニダールと金日成の親密関係で可能だった。1937年イスラエルのテルアビブの近くで生まれた彼の実名はハッサン・サブリ・アルバナ。1967年からヤセル・アラファトの「パレスチナ民族解放運動」で仕事をした彼は、共産国家らの支援を獲得してくるように、とのアラファトの指示により1972年3月28日から4月8日間に金日成に会った。
当時、二人は、「パルチザン」に対して共通の意見を持って親しくなり、金日成は、以後パレスチナ解放運動を支援し、アブー・ニダールを「中東に植えた自分の代理人」だと信じた。アブー・ニダールも、その後平壌に事務室を設け、テロリストたちを北韓に送って軍事訓練を受けるようにするほど二人は近くなった。
※詳しい内容は月刊朝鮮3月号で見られます。
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